2015年2月14日 (土曜日)

バークリー/アヴィラの聖テレサの4つの詩 フェリアー、バルビローリ

マーラー:亡き子をしのぶ歌
(1948年10月13日)
レノックス・バークリー:アヴィラの聖テレサの4つの詩 op.27
(1949年11月23日)
ショーソン:愛と海の詩 op.19
(1951年3月9日)

キャスリーン・フェリアー(コントラルト)
ハレ管弦楽団
サー・ジョン・バルビローリ(指揮)

先月、この盤の発売情報を得て塔に買いに行ったら発売日前であったので、先週もう一度行って入手。しかしこの盤、どうもHMVのサイトによると「メーカーの生産中止」だそうなんである。塔のサイトの客レビューによるとCD-Rらしいので(あたしゃわからんのだが)、そのせいだろうか。まあ、私はもしかしてよほどのフェリアーファンの一人に入るかもしれないので、いいのであるが。

フェリアの「亡き子」というとワルター盤が有名である。クレンペラー盤は未聴。ワルター盤はほんの小学生か中学生の頃にレコードで聴いていたもので、手元に音源がないので昔聴いた印象で比較するのであるが(すいません)、バルビローリのほうがオケの陰影が強い。ライブだということもあるかも。で、聴いてるのが辛くなる。

大体において、「子供を亡くしたおかあさんが子供を偲ぶ歌を歌っている」というシチュエーションがそもそも異常で(もともとはお父さんが歌ってる設定なのだが、ここでは女性歌手なので)、とても歌など歌える精神状態ではないだろう。あたしが子供の頃は何でも「こんなもんかな~」みたいな感じで聴いていたので普通だったんだけどね。ちなみにこの録音は初出であるそうだ。

さて。

このCDを買ったのはレノックス・バークリーという作曲家の歌曲集が聴きたかったからである。とはいっても、何か管弦楽曲の一曲くらいしかウチには音源はない。しかもレコードだからとんと聴いてないのである。

バークリー(1903~1989)は20世紀イギリスの作曲家である。しかし作風は英国というよりはどうもフランスに近い気がする。なんでもパリ音楽院に留学し、ナディア・ブーランジェに学んだそうなので。なので逆に言えば英国英国してないので聴きやすいかも。ブリデンと仲良しだったようだ。 ←いやそういう意味ではない。

いったいどんな作風の作曲家なのかなあ?という方は、こんな音源がUPしてあったので参考に。

Lennox Berkeley: A Dinner Engagement op.45 (1954)

https://www.youtube.com/watch?v=2Xkm7mZHSPI#t=106

「ディナーの約束」という2幕のオペラである。ダリウス・ミヨーを思わせる、軽妙洒脱な作風である(という印象。内容はよくわからん)。CDも出てる。

フェリアーのために書かれたという「アヴィラの聖テレサの4つの詩」は、全く初めて聞く曲だが、不協和音を取り入れながらも美しい曲で(とくに第3曲目)魅了された。全4曲で、宗教的な内容(おお主よとか出てくるからたぶん)なのでブラームスの「4つの厳粛なる歌」を思い出すところもある。とにかく、フェリアのために書かれただけあってとても彼女にあっている。ただ、短いのですぐ終わってしまう。残念。

この聖テレサさんとやらについては初めて知ったので(昔の聖人?というか神秘家らしい)、ウィキペディアで読んでも「はあ・・・そうですか」的な感情しか湧かないのであるが、フェリアーの聖女的なイメージと被る感じもする(憶測)。

言うまでもないが、録音は芳しくない。「亡き子」はしょっぱなからひっきりなしの雑音に悩まされる。でもまあ、フェリアーファンはこんなことぐらいではへこたれない。仲良しだったバルビローリとの共演の録音は非常に少ないので貴重である。解説書やCDケース裏の二人の写真も素敵である。バルビよりフェリアーのほうが背が高いんだけどね。

icon icon

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2010年9月 7日 (火曜日)

フェリアー/四つの厳粛なる歌

P1110469 ブラームス:四つの厳粛なる歌(サージェント編曲)
カスリーン・フェリアー(コントラルト)
サー・マルコム・サージェント指揮/BBC交響楽団
(1949年1月12日)

過去記事:バルビローリ&フェリアーの愛と海の詩

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9月だというのにまだまだ暑い。何か頭がどうにかなりそうだ。

今日、会社の事務所のドアをふと見たら、どっかからもらったと思しき温度計が貼ってあった。カード式の液晶の(数字が並んでる何か昔懐かしいタイプ)だったんだが、びっくりしたのが「34度」までしか表示がないということであった。今日は東京だって35度くらいあったはずだ。

この温度計を作った会社の人は「まあ日本では34度くらいまであれば十分十分楽勝楽勝」とか思ってたのかもしれんが、35度越えがごく日常の今年の異常な夏。今日は埼玉は38度まで上がったようだが、もし40度くらいまで行ったらこの温度計は壊れてしまうのだろうか・・・よくわからんのだが。

ということで、まだまだ気象は夏なのだが、心の中では秋を感じてみましょうということで、今日はブラームス。ブラームスって秋って感じしませんか?どの曲を聴いても秋って気がするんだが・・・・それってあああたしだけ?

で、うちにあるブラームスの音源はとっても少ない。その数少ない中の一つ「四つの厳粛なる歌」。子供の頃フェリアーの大ファンだったのでこの曲のレコードは2種類持ってる。一つは普通にピアノ伴奏のもので、今日取り上げるのはサージェント編曲のオケ版である。レコードで初出の時はあのバルビローリとのショーソンのウラ面(B面・・・て今の若者はわからんか)であった。高校生だったあたしはそれはもう心ふるわせながら、涙ながらにこの2曲を聴いたものである。

ずいぶん前にショーソンのほうはこのブログに書いたので、今日は(その時ちょこっとだけ触れたけど)ブラームスのほう。三浦先生の大変有難い解説を(恐れ多くも)のっけてしまおう、でも自分でPCで打つのは大変だな、ぶるぶる。
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サージェントがブラームスの<四つの厳粛なる歌>の管弦楽曲版を編んだのには、悲しい物語が秘められている。サージェントの一人娘パメラは快活で利発、誰からも愛される女学生だった。しかし彼女は7年間もの間、ポリオに悩まされていた。1944年の初め、彼女の病状は悪化し、主治医はサージェントにパメラの余生が幾ばくもないことを告げた。悲しみをこらえて帰宅したサージェントはバスルームへ入り、タオルで顔をおおっていつまでも泣いていた。「パメラはもう見込みがない」といってむせび泣いた。パメラは自分が長く生きられないということを知っていた。しかし、死という観念が彼女を怯えさせることはなかった。その生涯が短い人たちがよくそうであるように、彼女はおとなびて思慮深かった。彼女の生来の信仰が揺らぐことはなかった。

彼女が眠っている間、サージェントはベッドの傍らでブラームスの<四つの厳粛なる歌>の伴奏部のオーケストレーションをつづけた。その聖書から採られたテクストは『伝道の書』の暗さとすべて塵に帰る人間のむなしさから『コリント人への第一の手紙』の偉大な肯定へ至っている:「いつまでも、もちこたえられるのは、信仰と希望と愛の三つである。だが、最も偉大なのは愛である」。

(中略)

1944年8月23日、パメラ・ステファニー・サージェントは突然息を引き取った。その悲しい知らせをリヴァプールで受け取ったサージェントは、かねてからその日の来ることを覚悟し、心の準備をしているつもりだったが、駄目だった。彼は悲しみと絶望に打ちひしがれた。

・・・・・

フェリアーはこの編曲版の演奏会で二回目の演奏(初演はナンシー・エヴァンス)を歌ったのだそうである。で、元はと言えばもちろんドイツ語なんだが、この録音では英語である。実はこれはドイツ語歌唱に慣れていると最初はキモチワルイ(「マスト・ダイ」とかさー)。なんかやっぱりブラームスはドイツ語で歌ってほしいものである。しかし、聴いてるうちに段々慣れてくる。第3曲目「死よ、苦痛な死よ」など、管弦楽も荘厳で美しく(何か後半はまるでエルガーみたいである、ほんとに。)、フェリアーの歌唱も神々しくて結構胸にクルものがある。とくに高音が美しい。

さて。

私はこのレコードがあまりに好きすぎて、もちろんCDまで買ってしまった。CDの余白にはレコードの時にはなかったファーガソンやワーズワースやらラッブラやらかなりシブイ歌曲が収録されている。中学だか高校のときだかにこれらもレコードで持ってたので、おそらくこれが私のイギリス音楽との最初の出会いだったのかなあと今考えると思ふ。あまりに選曲が渋すぎて、おこちゃまの私はここから発展しなかったけんども。(今聴いてもかなり・・・シブイがな)

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iconこれはブラームス録音集。アルト・ラプソディも収録。

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2008年10月17日 (金曜日)

カラヤン&フェリアー/マタイ受難曲

P1110115 バッハ:マタイ受難曲
ヴァルター・ルードヴィヒ(福音史家)、オットー・エーデルマン(バス)、パウル・シェフラー(イエス)、イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ)、カスリーン・フェリアー(コントラルト)、オットー・ウィーナー、ワルター・ベリー、その他
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮/ウィーン交響楽団、ウィーン楽友協会合唱団

(1950年、国際バッハ音楽祭、ムジークフェラインホール)



世界的な恐慌とアイスランドの経済危機、そして私は何の関係もなくフツーに働いたりのんきに一蘭のラーメン食べたりしているけれど、なんとなくバッハ的受難な気分のために今日はマタイ受難曲。

ご想像通り、あまりバッハとは関係ない人間なのでウチにはバッハ音源類はとても少ないが(それでもモーツァルトよりはぜんぜんよい扱い。ベルク関係もありぃの)、マタイとなればまた話は別だ。

私にとって・・・マタイ受難曲の存在は他のバッハの曲とはかけ離れていて、マタイはワーグナーのオペラ的な、いやもっと別な(←なんじゃ)、特別な存在みたいな、感じで。音楽史で最も偉大な、神の領域の音楽であると思う。好き嫌いではなくてね。

このマタイには、大変有名なあのメンゲルベルク盤があり、もちろんアレは私も持っている。アレを超える演奏はないと思う、いろんな意味で。演奏自体がどーのというよりもアレは歴史の記録というかんじだ。たとえば・・・日本で言えば終戦の時に皇居の前の砂場でうずくまって泣いている一般市民とかの映像と同じような存在な気がする。

まー私も「聴衆のすすり泣きが聴こえる」とかいう宣伝文句で「ええええ?何か怖そう。(わくわく)」なんて興味本位でCDを買ったりしたが、もちろんそんなホラーな音源ではない(「お分かり頂けただろうか」とかナレーションが入るわけではない。「これを10回聴いたら自殺します」とかいうんでもない。←「暗い日曜日」か。)。

まさに戦争まっさかりで不安感たっぷりのメンゲルベルク盤に比べ、このカラヤン盤はもうちょっと年代的に経っているので(戦争は終わったよ。えーほんとなの?)そんなに時代の不安感や鬼気迫る感じはない。まあ、あんなキッツイ演奏ばっかりでもなあ。音はまあまあ。モノラルだがすごく聴き辛いわけではありません。

カラヤンがナチス党員だった(?)ということで一時期まあいろいろあったわけだが(よく知らんが)、1948年にはウィーン交響楽団の首席指揮者になり1949年にはウィーン楽友協会の音楽監督に就任。カラヤンが本格的に活動しだした頃の演奏。聴いていてカラヤンだからどーのという感じの演奏にはあまり感じないが。(正直何が「カラヤン的」というものなのかいまだにわからない)

とにかく、一昔?いやふた昔前の独唱者の歌声が素晴らしい。もちろん目当てで買ったフェリアーの声はなにより素晴らしい。もうこんだけでいいわ、オレはもう許すって感じである。ダ・ビンチなんかの絵画に登場する、羽の生えた天使(ガブリエルとかさー)ってたぶんこんな人だ(まあ、人ではないが)。ソプラノのゼーフリートも楚々とした歌声で、二人で歌う部分、「今イエスが捕えられた」の二重唱はこの世のものとは思えん。

エヴァンゲリストのルードヴィヒの美声も素晴らしい。シェフラーもエーデルマンもみなよい。この時代の歌手というのはなんか神々しい。

でも・・・。合唱の活躍する場面ではどうしても聴きなれたメンゲルベルク盤が頭に浮かんでしまい、(天下の楽友協会に向かってすいません)なんかちょっとものたりないとこもある(そうでもないとこもある)。とくに第1部の最後の「人よ、汝の大いなる罪を悲しめ」(♪おーーめーーんしゅ)の合唱の絶え入るような美しさとか、第2部の「神の子って言ってたんだからそこから自分で降りて来い」(♪いひびんごってすぞーーーーーーん)みたいなとことかの、ぞっとするような鬼気迫る感というのは・・・メンゲルベルク盤でしか聴けないもんなんだろうか。あんまり色々な演奏を聴いたわけではないのでよくわからないんだけど。(そして色々聴く気になれない。)

まあ、このカラヤン盤自体は素晴らしい演奏であると思う。平日にがんばって全曲聴いて感銘もひとしおである。

あと、演奏とは関係ないんだが曲のおわりにたまにぶちっぶちっと音が切れるのがとても気になる。私の持ってるのはずいぶん昔の(初出?)なので、のちに発売されたのは改善されてるのかどうかわかんないけど。

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2008年7月15日 (火曜日)

フェリアー/オルフェオとエウリディーチェ

P1110064グルック:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」
カスリーン・フェリアー(オルフェオ)、グレート・ケーマン(エウリディーチェ)、ネル・デュヴァル(愛の神)
シャルル・ブルック指揮/オランダ・オペラ管弦楽団・合唱団








暑い。毎日暑い。
しかし、私は北極のシロクマさんたちのために、エコロジーな生活をしている。・・・といっても、全くクーラーをつけないということだけだけども。

ところで、われわれクラヲタは、毎日のステレオ装置の消費電力についてはちょっと考え直さなければならないかもしれん。

私の再生装置(装置ってほどでもないけど・・・)は軽く20年は経っているので、消費電力を考えたら相当ヒドイと思う。南極のシロクマさんに申し訳ない。

いや、もっとスゴイ装置をお持ちの方は消費電力はそれどこじゃないだろう。

で、一番いいのは何かな~と考え。

いっそ、手回し蓄音機に切り替えるってのはどうだろう。手回し蓄音機って電気代かからないんだよね? 

高校生の頃、学校帰りに毎年「世田谷のボロ市」なるものに出かけた。で、そこで私がいつも熱い視線を送っていたのが、手回しラッパ蓄音機。

ああ、大人になったらアレが欲しい。あれでフラグスタートとか聴きたい。

しかし、いつの間にかそんな思いはどっかにすっとんでしまった。今考えたら、買っておけばよかった。今はヤフー・オークションでも手に入るっちゃ入るみたいだけど。

いや、今こそエコロジーのために、すべての音楽は手回し蓄音機によって奏でられるべきだ。クラシックだけでなく、コーダクミもアヤカもアオヤマテルマも、手回し蓄音機で再生されるべきだ。もちろん昔の蓄音機じゃなくて、新しくもっといい音で持ち運べるくらいポータブルに開発してね。電車の中でも、みんなハンドルをグルグル巻いてるわけだ、老いも若きも。すげー、疲れそう。

これで温暖化も少しは緩和・・・されね?

P1110065 そういいつつ、今日はレコード(電気)を聴いているわけだ。久しぶりにカスリーン・フェリアー様の音源で。

この(↑一番上の写真)ジャケットは、英国EMI盤初出のときのものである。なにせ、レコ芸で記事を読んですぐに買いに行ったのであるから。

昔は、フェリアーの新発見の音源が発売されるとなったら、大騒ぎだった(私は)。今や、まだこないだ出たボールトとのマーラー3番だって買ってない。すいません。

で、グルックって作曲家であるが、何か他にCDやレコード持ってるかというと、即答できない・・・アリア集に何かあったかなくらい。そもそも、グルックってずいぶん昔の人だけど、バッハが音楽の父、ヘンデルが音楽の母というのにグルックは音楽の何なのさ。何かそういうのがあってもよさそうだが。

で、この録音だが(おそらくイギリスでの上演では英語であったであろうが)、オランダでの上演でイタリア語である。(ちなみに日本初演は森鴎外訳詞で日本語であった。初演時の「百合姫」ことエウリディーチェ役は三浦環だったそうな。←役名まで訳したのか?)

フェリアーはもちろん、気品に溢れた歌唱で素晴らしい。有名なアリア「エウリディーチェを失えり」は熱気に溢れている。
他の歌手は・・・オランダだったら、ジョー・ヴィンセントくらい出て欲しかった。エウリディーチェとアモーレはあんまり知らない歌手である。歌唱はまあ・・・昔ながらな感じ。

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2007年10月24日 (水曜日)

フェリアー/ルクレティアの陵辱

P1000840ブリテン:歌劇「ルクレティアの陵辱」(ハイライト)
ピーター・ピアーズ(男性コーラス)、ジョーン・クロス(女性コーラス)、オタカール・クラウス(ターキニアス)、エドモンド・ドンリーヴィ(ジュニアス)、オーウェン・ブラニガン(コラティナス)、カスリーン・フェリアー(ルクレティア)、その他
ベンジャミン・ブリテン指揮/イングリッシュ・オペラ・グループ・オーケストラ

(1946年10月5日、オランダでのライブ)

今日はいつもの倍近くのアクセス数。なんでだか知らないけども。
というわけで、こんな日こそ普段ならばあんまりアクセス数が望めなそうなイギリスもの、ブリテンのオペラを。

しかも、レイプ・オブ・ルクレティア!
おお、なんてこと!舞台上でこんなことが、あんなことが行われるなんて!お、女の私がこんな記事を・・・恥ずかしいわ。(まあ、直接見えるわけではないが)

実演で最も見たくないオペラの一つ。ゴルトシュミットの「ベアトリーチェ・チェンチ」に次ぐかもよ。(いや、きっと舞台でやったら行くんだろうな・・・)

とはいうものの、このレコード(レコードだよ!)はうちにある音源では貴重なものの一つ。作曲者が指揮し、男性コーラスをピアーズが歌い、なんたってあの、カスリーン・フェリアーがルクレティアを歌っているのがスゴイ(っつーか、じゃなきゃ買わないと思う)。

<あらすじ>
古代ローマ。ローマとギリシャの戦争中、予告もなく戦地から男たちは帰宅。殆どの妻たちは留守中に外出してたり不貞を働いていたのだが、コラティナスの妻のルクレティアだけは家を守っていて夫の帰宅を迎えた。

ターキニアスが貞淑なルクレティアに乾杯すると、自分の妻の不貞なことを知ってやけ気味になったジュニアスは、ターキニアスに向かって彼すらもコラティナスの妻の貞操を左右することはできまいという。ジュニアスにそそのかされたターキニアスはルクレーティアのもとへ馬を飛ばして行く。

ルクレーティアの家の広間。侍女と乳母とともに糸をつむいでいる。そこへノックの音が聞こえ、ターキニアスが一夜の宿を求める。
ターキニアスがルクレティアの部屋に入ってきて、しばらく眠っている彼女を眺めてから接吻して彼女をめざめさせる。彼は自分の情熱を語って応えさせようとするが、ルクレティアは立ち去るように懇願する。しかし彼は短剣を抜いて彼女を脅し、ろうそくを消す。幕が下り、男女のコーラスが今起こっている事件をキリスト教徒の観点から批判する。

朝。侍女と乳母はルクレティアのヒステリーで奇妙な振る舞いを見て驚く。ルクレティアは夫の帰宅を求めるために使者を送る。やがてジュニアスを連れてコラティナスが帰宅すると、妻は喪服を着て迎える。コラティナスは彼女を慰めてその行為を許そうとするが、妻は短剣で胸を刺して夫の腕の中で死ぬ。




カワイソウなオペラである。

ハイライト盤のため、重要なその場面がまるまるカットされていて、しかも全曲盤を持ってないのでどんなもんだか知らないのだが、この録音でのフェリアーはあいかわらず美しい声で、貞淑なこの役を演じている。イメージぴったりでとっても素晴らしい。舞台姿が見たい。さぞ綺麗だったんだろうな。録音は貧相で雑音も多いが、なんとなく曲と演奏の素晴らしさは伝わってくる。ブリテン特有の透明で残酷なまでに美しい音楽。

それにしても、このレコード、どこで見つけたんだろう。まだ私、学生だったと思うんだけど。ジャケット写真も貴重である。




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2006年9月12日 (火曜日)

バルビローリ・大地の歌

Das_lied_von マーラー:交響曲「大地の歌」

カスリーン・フェリアー(A)
リチャード・ルイス(T)
サー・ジョン・バルビローリ指揮/ハレ管弦楽団

1952年、マンチェスターでのライヴ録音
(APR 5579)

私がマーラーを聴き始めたのは確か小学5~6年生の頃だったと記憶します。一通り声楽付き交響曲を聴き、「大地の歌」を聴いたころは中学生になっていました。最初に聴いた「大地の歌」はワルターのステレオ盤でした。エルンスト・ヘフリガーのテノールとミルドレッド・ミラーのメゾ・ソプラノで。

渋い、枯れた音色が魅力よ。

「大地の歌」っていうと、ワルター/ウィーン・フィルでフェリアーとパツァークが歌っている盤がまず名盤として挙げられます。しかし(それではここのblogでは普通すぎるので)、今日は何年か前に発見?発売された、貴重なバルビローリ&フェリアー盤を。これは大発見。

しかし、聴いてみると第1楽章冒頭の長い欠落、ピシ!パシ!とたまに耳を襲うノイズ、音とびに少々怯えてしまう。しかし。

フェリアー・ファンはこんなことでへこたれてはいけないのよ!

バルビローリと共演するフェリアーは、ワルターとよりもことのほか歌唱がリラックスしてて晴れやかだと思う。そして演奏でときおり見せるバルビローリらしさ(どこがどーっていう指摘はできないんだけどー)がたまらない。また、最終楽章ではバルビローリとフェリアーの共同作業っぽい何か通じ合っている感じが見られる。やっぱり仲良しだったからかなー。

前に取り上げましたショーソンの「愛と海の詩」同様、現代の平均値からすれば相当貧相な録音なので誰にでも薦められるCDではありませんが、バルビローリもしくはフェリアーのファンであれば、必ず「グッとくる」演奏だと思います。

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2006年6月17日 (土曜日)

バルビローリ&フェリアーの愛と海の詩

Ferrier ショーソン:歌曲集「愛と海の詩」 サー・ジョン・バルビローリ指揮/ハレ管弦楽団/ブラームス:歌曲集「四つの厳粛なる歌」 サー・マルコム・サージェント指揮/BBC交響楽団/他、バッハ宗教アリア集/以上カスリーン・フェリアー(コントラルト)/レコード(LONDON L28C-1882) 

カスリーン・フェリアーは幼い頃から大好きな歌手の一人である。マーラーの交響曲を一通り聴き進めていくうち、ほとんどの人が必ず通る道である名盤、ワルターとの「大地の歌」、「亡き児を偲ぶ歌」などに出会い、だんだんと彼女の魅力に惹かれていった。

彼女を好きになったことで、それまで全く聴かなかったシューマンやブラームスの歌曲、そして全く馴染みのない英国歌曲まで聴くようになったのである。ラ、ラッブラって何? 人間?とか思いながら聴いていた

そんなフェリアー・ファンのはしくれであった高校生の私。ある日「レコード芸術」の広告にフェリアーの新発見録音!との見出しがあり。しかもなんとあのバルビローリとの共演である。

キャー、うそー!まじー!?買わなきゃー  

趣味はシブイがノリだけは女子高生である

発売日を待ち遠しく、指折り数えながら待っていた。←青春真っ只中、他に楽しみなかったのかよ

そして発売日がついにきた。高校の近くの駅前のレコード屋に、買うぞ!買うわよ!と意気込んで買いに行った。

しかし、ない。

おかしいなあ、と思い店員のお兄さんに訊いてみる。すると

「フェリアーとバルビローリぃ?そんなのあるのー?何かのカン違いじゃないー?まあ、女の子の言うことだからね

・・・・

はい?何て申されました?私、客だよね?高校生だけど。失礼じゃない?

まさか、女子供に売るバルビローリはねえっ!!ってわけ?

が、店員は次の瞬間、レジの前に貼られていた紙ッペラを発見。どうも発売延期になったらしい。なあんだ・・・って。

あ、一切謝らないのか店員!!

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というような、読んでいる方にはまるで関係のない思い出話はおいとくとして。

この録音のいきさつを(三浦先生の貴重なる解説より)かいつまんでお話いたしますと。

1950年のある日、バルビローリがフェリアーに「愛と海の詩」の独唱者になってほしい、と彼女のマネージャーに交渉。でもフェリアーはバルビローリと仕事したいのは山々だけど、フランスものは歌ったことがないのでお断りする気持ちでいた。

しかし、フェリアーのピアノ伴奏者であるジョン・ニューマークが「ぜひ受けるべきだ」と共演をすすめた。彼は彼女にフランス語のコーチまでしてくれると言った。

ニューマークはフランス人の友人にショーソンのこの曲のテクストをゆっくり発音して録音してもらった。また、彼女はパリに行き、ピエール・ベルナックについてフランス語の歌唱指導をしてもらった。

そして1951年2月、アルバートホールで上演された。フェリアーの日記によるとコンサートは大成功。3月1日に再演されてその演奏は3月9日にBBC放送で流された。放送日にフェリアーはバルビローリ家にてサー・ジョンお手製ミートボールを食べたそうな。(←おいしそうだ)

その30年後、フェリアーの姉のウィニフレッドが亡き姉の放送録音を所蔵している人がいることを知り、照会の手紙を送った。所有者は快諾し、その録音を受け渡した。英デッカではレコードとして発売するために(復刻の作業のほかにも)数々の難問をクリアしなければならなかった。そして晴れて(実に演奏の32年後)レコードが発売されたのである。

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このレコードはこんないきさつがあって勿論とっても録音が悪い。シロウトの取っていた放送録音だからしかたないけれど なんでBBCに残ってなかったのぅー 終始ごおおおおという低音の雑音が聞こえる。

しかし、そんな中から聞こえるフェリアーの歌唱は、私がそれまで聴いたこともないくらい晴れやかなものである。にがてなフランス語にもかかわらず大好きな?バルビローリとの共演で心うきうきだったのかもしれん(勝手な想像)。

録音の悪いのも手伝って、なんだか天国から聞こえてくるような音楽である。(CD時代になってからも勿論購入したが、そんなに良くはなってないと思う)

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カップリングのサージェントとのブラームスもまた、泣けるいきさつが解説されている。(サージェントの愛娘がポリオにかかり、助かる見込みがないのを悲観した彼が、悲しみを紛らわすために本来ピアノ伴奏であるこの曲の管弦楽伴奏版を娘のベッドサイドで作っていた、という。)

というわけで、このレコードは色々な思いが重なって作られている、とても貴重な録音なのでありました。

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