カラヤン&フェリアー/マタイ受難曲
バッハ:マタイ受難曲
ヴァルター・ルードヴィヒ(福音史家)、オットー・エーデルマン(バス)、パウル・シェフラー(イエス)、イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ)、カスリーン・フェリアー(コントラルト)、オットー・ウィーナー、ワルター・ベリー、その他
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮/ウィーン交響楽団、ウィーン楽友協会合唱団
(1950年、国際バッハ音楽祭、ムジークフェラインホール)
世界的な恐慌とアイスランドの経済危機、そして私は何の関係もなくフツーに働いたりのんきに一蘭のラーメン食べたりしているけれど、なんとなくバッハ的受難な気分のために今日はマタイ受難曲。
ご想像通り、あまりバッハとは関係ない人間なのでウチにはバッハ音源類はとても少ないが(それでもモーツァルトよりはぜんぜんよい扱い。ベルク関係もありぃの)、マタイとなればまた話は別だ。
私にとって・・・マタイ受難曲の存在は他のバッハの曲とはかけ離れていて、マタイはワーグナーのオペラ的な、いやもっと別な(←なんじゃ)、特別な存在みたいな、感じで。音楽史で最も偉大な、神の領域の音楽であると思う。好き嫌いではなくてね。
このマタイには、大変有名なあのメンゲルベルク盤があり、もちろんアレは私も持っている。アレを超える演奏はないと思う、いろんな意味で。演奏自体がどーのというよりもアレは歴史の記録というかんじだ。たとえば・・・日本で言えば終戦の時に皇居の前の砂場でうずくまって泣いている一般市民とかの映像と同じような存在な気がする。
まー私も「聴衆のすすり泣きが聴こえる」とかいう宣伝文句で「ええええ?何か怖そう。(わくわく)」なんて興味本位でCDを買ったりしたが、もちろんそんなホラーな音源ではない(「お分かり頂けただろうか」とかナレーションが入るわけではない。「これを10回聴いたら自殺します」とかいうんでもない。←「暗い日曜日」か。)。
まさに戦争まっさかりで不安感たっぷりのメンゲルベルク盤に比べ、このカラヤン盤はもうちょっと年代的に経っているので(戦争は終わったよ。えーほんとなの?)そんなに時代の不安感や鬼気迫る感じはない。まあ、あんなキッツイ演奏ばっかりでもなあ。音はまあまあ。モノラルだがすごく聴き辛いわけではありません。
カラヤンがナチス党員だった(?)ということで一時期まあいろいろあったわけだが(よく知らんが)、1948年にはウィーン交響楽団の首席指揮者になり1949年にはウィーン楽友協会の音楽監督に就任。カラヤンが本格的に活動しだした頃の演奏。聴いていてカラヤンだからどーのという感じの演奏にはあまり感じないが。(正直何が「カラヤン的」というものなのかいまだにわからない)
とにかく、一昔?いやふた昔前の独唱者の歌声が素晴らしい。もちろん目当てで買ったフェリアーの声はなにより素晴らしい。もうこんだけでいいわ、オレはもう許すって感じである。ダ・ビンチなんかの絵画に登場する、羽の生えた天使(ガブリエルとかさー)ってたぶんこんな人だ(まあ、人ではないが)。ソプラノのゼーフリートも楚々とした歌声で、二人で歌う部分、「今イエスが捕えられた」の二重唱はこの世のものとは思えん。
エヴァンゲリストのルードヴィヒの美声も素晴らしい。シェフラーもエーデルマンもみなよい。この時代の歌手というのはなんか神々しい。
でも・・・。合唱の活躍する場面ではどうしても聴きなれたメンゲルベルク盤が頭に浮かんでしまい、(天下の楽友協会に向かってすいません)なんかちょっとものたりないとこもある(そうでもないとこもある)。とくに第1部の最後の「人よ、汝の大いなる罪を悲しめ」(♪おーーめーーんしゅ)の合唱の絶え入るような美しさとか、第2部の「神の子って言ってたんだからそこから自分で降りて来い」(♪いひびんごってすぞーーーーーーん)みたいなとことかの、ぞっとするような鬼気迫る感というのは・・・メンゲルベルク盤でしか聴けないもんなんだろうか。あんまり色々な演奏を聴いたわけではないのでよくわからないんだけど。(そして色々聴く気になれない。)
まあ、このカラヤン盤自体は素晴らしい演奏であると思う。平日にがんばって全曲聴いて感銘もひとしおである。
あと、演奏とは関係ないんだが曲のおわりにたまにぶちっぶちっと音が切れるのがとても気になる。私の持ってるのはずいぶん昔の(初出?)なので、のちに発売されたのは改善されてるのかどうかわかんないけど。
↑噂のメンゲルベルク盤↑
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