コルンゴルト:歌劇「死の都」
トルステン・ケール(パウル)
ミーガン・ミラー(マリエッタ/マリー)
アントン・ケレミチェフ(フランク/フリッツ)
山下牧子(ブリギッタ)
平井香織(ユリエッテ)
小野美咲(リュシエンヌ)
小原啓楼(ガストン/ヴィクトリン)
糸賀修平(アルバート伯爵)
エマ・ハワード(マリー)
白髭真二(ガストン)
ヤロスラフ・キズリング(指揮)
東京交響楽団 新国立劇場合唱団
世田谷ジュニア合唱団
カスパー・ホルテン(演出)
エス・デヴリン(美術)
(3月15日 新国立劇場大ホール)
過去記事:びわ湖ホール/「死の都」(第一日目)
(ネタバレあり)
やー、行ってきました。新国立劇場。A席でした。2階席の左のせり出したところで見やすい席。「ピーター・グライムズ」の時と大体同じような感じ。かなり前にセット券で買ったのでこんなラッキーな席なんだね。
期待し過ぎてあんまり良くなかったらどうしようと思ってたんだけど、本当に良かったです。初日の感想をちらちらと見て行ったので、演奏や歌唱のキズ、そして演出が結構つまんなかった的な感想を読んでたので心配してたんだけど、2日目だったので初日よりきっとこなれていたのでしょう。
今回はノーカット上演。びわ湖は第2幕の「悪魔のロベール」の部分はまるまるカットしてたけど、実はここんとこの音楽はわたし好きなもので、ちょっと悲しかった。ちゃんとやってくれてうれしい。
それにしても、「死の都」日本初演が、ほぼ同時期に二つ重なるなんて。1920年の世界初演がドイツの二つの都市(ハンブルクとケルン)で同じ日に行われたなんて話はずっと前から知ってたけど、そしてこの話は「けっ、どうせ有名音楽評論家の息子だから、コネもあるんでしょ」みたいな感じに受け止めてたけど。初演から94年後(!)の日本初演で同じような事が起こったのだから、この演目の実力は認めていい。日本の二人の名指揮者、尾高さんと沼尻さんがチョイスしたこのオペラはホントに素晴らしいのだ。すくなくとも公演を見た人はそう思ったに違いない。
びわ湖の公演は日本人だけのキャスト・スタッフで、本当に素晴らしいものだったのですが、惜しむらくは(ほとんどの人がおっしゃっていたように)演出が、まともに「演出」じゃなかったこと。ほぼ演奏会形式のように、歌手はただ舞台に立っていて、観客に向って歌ってるだけだったこと。わたしは「これはこれで曲の良さが感じられて、ヘンな読み替えとかされるよりは、よっぽど良かったんじゃないかな」って思ったけど。
今日の演出は良かった。この曲を結構聴きなれていると思う私でも、色々発見があった。なるほど的な。演出ってこういうことなのね、と思った次第。
一言で言えば今回の演出は映画「シックスセンス」のような感じである。第1幕の最後にちょっとだけ歌うだけの妻・マリー役が、全くの出ずっぱりで舞台にいる(歌わない女優さんが)。そんでもってその姿は最初はパウルにしか見えない。親友のフランクやその他の人には全然見えないのだ。だから、「ああ、この人はちゃんと死んだ奥さんと寝起きをして一緒に生活してるんだ、他の人には見えなくても」って観客はパウルに共感できる。(じゃあそれでいいんじゃねえの?って思ったりもするんだけど)
で、妻マリーの亡霊は第3幕になってマリエッタに見えるようになる。普通の演出だと(パウルと関係を持ったあとの)マリエッタはただ見えないマリーに歌ってるだけなんだけど、この演出だとマりーと向き合って対決するって感じになる。なるほど的である。ちゃんと考えられていていい演出だな、と素直に思った。
そんでもって、とにかく色々とネットでも言われてたけど舞台装置が大変美しい。なんでもレディ・ガガのコンサートの舞台を作ったり、ロンドン五輪の閉会式の装置もやった人らしい(女性である)。わたくしの性能のいいオペラグラスで見ても、小道具まで実に細かく作ってあるのがわかる。舞台後方に見える、グーグルアースから作ったというブルージュの立体地図模型も素晴らしい(パウルがそこに向って空を飛んでいるようなしぐさをしたりする)。第2幕のちょっと舞台が暗くなったところで、小さな建物が小道具として舞台上にちりばめられているものに灯りがつく。あれも美しかったなあ。
第2幕のマリエッタの仲間たちが舞台中央の大きなベッドから次々と登場してくるのも楽しい。舟をこぐ長い櫂がずるずると出てくるのも面白かった。ま、所詮はパウルの夢の中の事なんだもんね。しかしヘビーな夢だこと。
しかしまあ、演出よりも歌唱よりも舞台装置よりも何よりも良かったのがコルンゴルトの音楽。こんなに美しいメロディーが溢れているオペラって他になくね? プッチーニもひくくらいだわ。多分、コルンゴルトは幼少より「美しいメロディが頭に溢れすぎる病気」だったんじゃないかなって思う。サヴァーン症候群?なのかも。あまりに観客がみんな引き込まれ過ぎているのがわかった。第3幕でマリエッタが殺されて(夢で)、バタンって倒れたときに観客が15人くらい小さな声で「あ」って言ったもん。「映画かよ!」って思ったわ。
あと、歌詞の素晴らしさ。パウル・ショットって実はコルンゴルトのお父さん(とコルンゴルト自身)のペンネームだったんだ。パウルは役名、ショットは楽譜屋さんのショット社から採られてんだねたしか。いやはやホント胸に沁みる台本だわ。実はびわ湖のときは前から2番目の席だったので字幕があんまり見えなくて。いや見ようと思えば見えたんだけど、そうすると舞台が全然見えなくなっちゃうの。今回は2階席だったから一緒に観ることができました。第2幕のピエロの歌の歌詞なんかグッとくるし、最後のパウルの歌の歌詞がまたいいねえ。対訳売ってたので勿論買いましたわ。私、輸入盤しか持ってないもんで。
で、歌手について。
調子悪いように聞いてたパウル役のケールでしたが、わりと今日は調子良かったみたい。高音が確かに苦しいところもあったけど、打率は5割くらいで良かったです。声量はそんなにない気はしたけど、私の席はよく聴こえました。ウチにあるDVDのパウルはケールなので同じ人なんだなあって感慨はありました(あの、人形オタクのやつね)。髪形が違ってたけど。声がひっくり返っちゃったりは今回はしてなかったでした。
ミーガン・ミラーはとても美しい人だと写真やYouTubeを見て思ってたのだけど、結構ふくよかな方だったのでびっくりした。ケールと似合いのカップルでしたわ。マリー役の女優さんがスマートなのであんまり似てないかと。しかし、大変立派に歌われていました。声量もあったし良かったでした。ただ、私の好きな声質でない(んーと、ジャニーヌ・アルトマイヤーとか?)ので、アレでしたけど。それと、わりと知性的な感じでマリエッタの奔放な感じやコケットリーな感じも全然なかったし。(そう考えるとびわ湖の砂川さんが忘れられない。ホントに可愛かったし、色っぽかったし、魅力的な歌唱だったなあ。アレを聴いた人は関東地方でも再演をする運動をしてほしい。)
フランクの人は、眼鏡に軍服、まるでムスカ大佐のようだった。タイプだった。フランク役の時はよい歌唱だったし、歌舞伎的早変わりでいつの間にか登場、ピエロの歌を歌ったけれど、なんか・・・あの魅力的な歌がとっても真面目な歌(ベートーヴェンみたい)になってたのが至極残念。やっぱりあの歌はカバレットの流れを汲んでいる歌い方じゃないと(カヴァーで入ってた萩原潤さんのほうがきっとうまく歌えたかも。やっぱりあの歌はベッグメッサーとかカルミナ・ブラーナとか歌う歌手じゃないとダメよ)。
オケは、2回目とあってとても馴染んでいた感じ。私の席からはとてもブレンドされててちょうどよく聞こえました。オケは全然違うとこですけど、びわ湖の時は初日だったので少しオケが馴染んでなかった気が今考えるとする。どっちがいいとかは、わかんね。テンポは今日の公演のほうが私はしっくりきたなあ。それにしてもほんとに・・・いい曲だった。
最後は、拍手が待ちきれない観客たちによってフライング拍手。でも・・・今回は仕方ない気がする。本当にいい曲だったし、みんなそう思ったに違いない。拍手はなかなか鳴り止まず。公演に対する拍手だけでなく、この素晴らしい(珍しい)オペラに対する拍手でもあったと思う。すべてにブラヴォー。
帰る道々、この曲初めて聴いたと思しきカッポーの会話(リア充氏ねとかは思わない)で、「いい話だったね~。それにすっごくいい曲だね~」って言ってたのがきこえて、こっちもホンワカしました。
「死の都」ロスを心配し、もう一回行こうかなとも思ったのだけど、お金ないしあまりにそれってキ●ガイじみてるので(いくらなんでも同じ曲3回はねーわ)、この最後のパウルの歌とともに「死の都」と今回はお別れしたいと思う。(いや、2・3日経ったら気は変わるし、当日までわからんのだけどね。)
この身にとどまるしあわせよ
永遠にさらば いとしい人よ
死から生が別たれる
憐れみなき 避けられぬ定め
光溢れる高みで この身を待て
ここで死者が蘇ることはない
(訳:広瀬大介)
「死の都」の次の演目は「ヴォツェック」という、不思議の都、東京。ここはウィーンかと。でもお寿司はウィーンより美味しいよ、たぶん。
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