2022年12月25日 (日曜日)

花房英里子(メゾソプラノ)コンサート / 東京文化会館小ホール

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上野deクラシック
レスピーギ:最後の陶酔 P8
4つの歌 P125より 第4曲「昔の歌に寄せて」
ベルク:『7つの初期の歌』より
第2曲「葦の歌」
第3曲「夜鳴きウグイス」
第5曲「室内にて」
第7曲「夏の日」
トマ:オペラ『ミニョン』より 「君よ知るや南の国」
モーツァルト:オペラ『皇帝ティートの慈悲』より 「行こう、だが愛しい人よ」
チャイコフスキー:6つの歌 Op.6より 第6曲「ただ憧れを知る者だけが」
オペラ『オルレアンの少女(ジャンヌ・ダルク)』より 「さあ、時は来た」
ヴェルディ:オペラ『ドン・カルロ』より 「むごい運命よ」
〈アンコール〉
R.シュトラウス:オペラ『ナクソス島のアリアドネ』より 「さあ、仲直りしましょう」
花房英里子 (MS) 木下志寿子(ピアノ)
(12月21日 東京文化会館小ホール)

毒展のついでに何かリサイタルやってないかと探したらたまたまあったので。
1100円なんて安い~と喜んでいたら、どうも「イベント割」対象公演だったらしく、もちろん4回目の接種済であったが証明書も何も持ってなくて(もってたらもっと安かった)、しかたなく定価で入場。かなしす。

お値段のせいか、それと平日午前中だったせいかお年寄りが多め。まあこういう公演は上野とはいえ民度は若干低めなわけでで、隣の老夫婦の奥さんは鈴のついたカバンを始終いじっていたし、なんとびっくりなのは反対隣のお兄さんがベルク演奏中に携帯の着信音を盛大に鳴らしていたことで・・・怒りそうになったが我慢。

1時間ほどのコンサートだったが、イタリア語、ドイツ語、フランス語、ロシア語ともりだくさんな、ご本人の思いの丈を詰め込んだ、贅沢なラインナップ。

花房さんは前回の東京音楽コンクール声楽部門第2位及び聴衆賞とのこと。ポスター写真やアーティスト写真は明るいお嬢さんと言った感じだった(私の勝手な印象)が、今日拝見したところショートの髪形でしっとりとした大人の雰囲気。お声は底光りするような美声で、どのジャンルの曲も歌いこなされていてとてもよかった。 

ベルク目当てで行ったんだけど、後半のチャイコフスキーや有名なエボリ公女のアリアも素晴らしかった。思いがけずアンコールで大大大好きなナクソス島の作曲家のアリアを歌ってくださって本当に行って良かったなあ。っていうかもしかして実穂子さんを意識されてるのかもって思ったり。いつかシュトラウスのズボン役で新国の舞台に立たれますように、応援しております(1月の新国の「タンホイザー」で小姓役でご出演予定。髪型はそのせいかな?)。

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2021年8月29日 (日曜日)

二期会 ベルク「ルル」(森谷組初日)

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ベルク:歌劇「ルル」(2幕版)
指揮: マキシム・パスカル
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
演出: カロリーネ・グルーバー
装置: ロイ・スパーン
衣裳: メヒトヒルト・ザイペル

ルル:森谷真理
ゲシュヴィッツ伯爵令嬢:増田弥生
劇場の衣裳係、ギムナジウムの学生:郷家暁子
医事顧問:加賀清孝
画家:高野二郎
シェーン博士:加耒 徹
アルヴァ:前川健生
シゴルヒ:山下浩司
猛獣使い、力業師:北川辰彦
公爵、従僕:高田正人
劇場支配人:畠山 茂
ソロダンサー:中村 蓉
(8月28日 新宿文化センター大ホール)

初日を鑑賞。そもそもパラリンピックの車いすバスケの券を29日早朝を取っており、ルル鑑賞を諦めていたが(まあ頑張れば行けないでもないけど)、ご存知の通りパラリンピックは基本無観客になったのでぎりぎりで慌てて券を購入。

(ちなみに車いすバスケは英国対イランで英国が勝った模様。英国好きなのでユニオンジャック持って是非応援に行きたかったが・・・仕方ないね。)

ルルは好きなオペラだが、実は東京二期会による3幕版日本初演を観て以来、生では全く観てない。新国のは観てない。なんかもう・・・二期会初演を超えるものは日本ではもうないかなって思ったので観なかった。しかも今回は2幕版とのことで観なくてもちょっといいかなって思ってた。

いつもの上野じゃなくて新宿文化センターだったため、オケピットがなく客席の前のほうを利用してオケが入ってた。結構たくさんいる打楽器群は向かって左側に一段上がって配置された。実は券をぎりぎりに入手したので打楽器の真ん前となってしまい、残念ながら舞台が楽員さんの譜面に隠れて見えなかった。

ただ、打楽器に近かったお蔭で「打楽器の譜面ってこんななんだあ」とか、「ここはこの楽器が使われているのか!」とか色々発見があった。とくにでっかいドラが大活躍するのは(今更)びっくり。ルルの魅力的かつ蠱惑的な様を表すのに、手で響きを抑えながらのドラはまさにぴったりで、やっぱりベルクは凄いな、天才だなって思った。ドラ、人をびっくりさせるようなでっかい音だけじゃないんだ。

オケを身近に見聞きしたことで86年も前に死んだ作曲家の、今そこで作られているような作品の息吹を感じられて嬉しかったなあ。また、普段なら指揮者は通路の奥から出てくるのに、通路がないから目の前をパスカル君が通って行くのをが見れたのも嬉しかったし。

さて前置き長くなったが、まず今回の演出について。カロリーナ・グルーバーは二期会では「ナクソス島のアリアドネ」も演出を担当している。その時の印象はあまりにも雑多で情報量が多すぎ、「(演出で)やってることこの半分くらいでよくね?」と思うくらい、色々な事が(とくにツェルビネッタが大変そう)舞台上で行われていた。

今回のルルは、まあアリアドネほどでもないけど若干そんな印象はあった。でも、難解さとは無縁で初めて見る人でもわかりやすいのかなあと思った。ただルル好きとしては残念な部分は・・・このオペラで私の好きなところ・・・第1幕でルルの「私の主人・・・私がもしこの世の中で誰かのものであるとしたら、あなたのものですわ。」とシェーン博士に訴えるところで、録音されたたくさんのルルの声が重なって聴こえるようになっていて、美しいオケが聴こえなくなってしまった。あと、(これは演出なのかどうか知らないけど)ルルが第2幕で「私、あなたのお母さんを毒殺したのよ・・・」とアルヴァに言うところも、なんか大声で宣言してたので、そこはアルヴァを誘惑しながら囁くように不気味に言って欲しかったなあと思った。まあ、私だけかもしれないけど。

あと不満というかソーシャル・ディスタンス上仕方ないのだが、オペラ史上最もエロいオペラなのに、濡れ場がほぼなかったということで・・・いやそういうのを期待してオペラに行っているわけではないのだけど・・・若干ルルっぽくないなって思った。その代わりにルルを模した凄いエロティックなマネキン人形が舞台上にあったが。新国立の「アルマゲドン」の時も思ったけど、ほんとこういうエロティックさを必要とするものの上演はこのご時世は困るな(何でもそうだけど)。演出家も大変だろうな。

「ルル」の演出で一番注目すべきなのは、第2幕のルルが警察に捕まって裁判にかけられ、ゲシュヴィッツに助けられて出てくる場面の映画なのだが、すべてマネキン人形によって演じられる。上演のために作られた映像は大体ベルクの設定どおりみたいだった。それにしてもオペラの途中に映画を上映するって考えたベルクってすげえなって思う。

歌手について。二期会「サロメ」に続いて、森谷さんのルル。サロメとルルはキャラも似ているし、声に力強さもあるのに夜の女王でデビューしたくらいなので、高音も得意な(と思っている)森谷さんにはどちらもぴったりのお役かと。外見も若さがあり、スタイルもよくて安心して観てられる・・・海外公演のヴィデオに若干「これはルルじゃないわ・・・おばさんか?」という人がいるのに比べて。

シェーン博士は代役とのことで、若手イケメンの加耒徹さんが挑んだ。外見はどうメイクしてもスタイルがお若いので最初は見慣れなかったけど、歌唱は全然違和感なく聴けた。外見もだんだん慣れた。もう片方のキャストの小森さんはきっと外見ぴったりなのかなあ。

ベルクの分身と言うべきアルヴァ役の前川さんは、この役の他の録音(ブーレーズ盤のケネス・リーゲルとか)と遜色ないくらい素晴らしかった。高音が頻出する難役だが危なげなく声が出ていた。

シゴルヒ役は普通は本当にお爺さんが演ずる(引退に近いハンス・ホッターとか)ものかと思ってたので、お若い方で若干違和感が。あ、イル・デーヴの方なのね。逆にデブであるべき力業師の役の北川さんがスタイル良くて全然「太鼓腹」でなかったのでちょっと笑った。お二人とも歌唱はとても良かったですが。

歌手の方は皆さん良かった。ゲシュヴィッツ伯爵令嬢もギムナジウムの学生さんも。ただ、ゲシュヴィッツは第3幕も見せ場はまだまだあるので歌うとこ少なくて残念。

さて今回の2幕版。3幕版しか見たことないので、2幕が終わったあとどうするのかなと思ってた。ベルクの伝記を見ると、『今日、一般に行われているのは、(中略)次のようなやり方である。<変奏曲>は幕が降ろされたまま演奏される。<アダージョ>のところでゲシュヴィッツのモノローグが始まる。そしてルルの登場。「ジャックを伴って。ルルはジャックに金をねだる。ジャックはルルに硬貨を与える。二人は屋根裏部屋に消える。<アダージョ>の七十七小節の途中で、部屋からルルの声が聞こえる。<やめて・・・やめてよ・・・やめて、やめて、やめて・・・・・・>。そしてすぐ(七十八小節)ルルの死の叫び声が響く。八十五小節の終わりにジャックが部屋から飛び出して来てゲシュヴィッツの身体にナイフを突き刺す。ゲシュヴィッツは崩れ落ち、ジャックは姿を消す。九十九小節からゲシュヴィッツの最後の歌と死」』とある。(フォルカー・シェルリース著「アルバン・ベルク生涯と作品」より引用。岩下眞好・宮川尚理訳 泰流社)

今回は同様にルル組曲から「変奏曲」と「アダージョ」が2幕終了から休憩なしで演奏されたが、とくに第3幕のあらすじに触れることもなく、ルルと踊り担当ルルが象徴的な振付をして(踊り担当の方、全体的に歌だけでは表しきれないルの孤独や悲しみを表現)、遠くからゲシュヴィッツのルルに向けた愛の告白が聞こえて終わる感じ。本来シェーン博士が2役を演じる切り裂きジャックは出てこないし、ルルも殺されない。ルルの悲惨な最後を見なくてよい、とも言えるか。

(本来の第3幕の筋書は、警察の手を逃れたアルヴァとルルは、パリでインチキ株券を売ってやはり追われる身となり、ロンドンに逃亡、もはやルルが売春をするしか収入の道はなく、ルルもゲシュヴィッツも客として来た切り裂きジャックに殺されて、幕となる。)

さて、最後に指揮とオケ。18年前の3幕上演と同じ東京フィルだが、まあオケのメンバーはずいぶん変わっているのかな。今回私が観たのは初日なので、最初のほうはさすがにオケと歌手が「こうかな?・・・こうかな?」みたいな手探り感が若干あった気がするけど(私だけ?)、全体的には全く引き締まった演奏で素晴らしかった。パスカルって指揮者は初めてなのだけど、若いのにこの難曲でこの指揮は凄いと思った・・・というか指揮者とかほぼ目に入ってこないほど曲にのめりこんでしまった。

曲が終わって最後は「ここで拍手するの?」的な沈黙が若干あったけど、拍手が始まれば大喝采で(ブラヴォーはこのご時世でないよ)、スタンディングオベーションも起こった。東京二期会による(私には)2回目のルル、どちらも遜色なく忘れられない公演となった。

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2014年4月 6日 (日曜日)

新国立劇場/ヴォツェック(2014)

Kc460300アルバン・ベルク:歌劇「ヴォツェック」

【指揮】ギュンター・ノイホルト
【演出】アンドレアス・クリーゲンブルク
【美術】ハラルド・トアー
【衣裳】アンドレア・シュラート
【照明】シュテファン・ボリガー
【ヴォツェック】ゲオルク・ニグル
【鼓手長】ローマン・サドニック
【アンドレス】望月哲也
【大尉】ヴォルフガング・シュミット
【医者】妻屋秀和
【第一の徒弟職人】大澤建
【第二の徒弟職人】萩原潤
【白痴】青地英幸
【マリー】エレナ・ツィトコーワ
【マルグレート】山下牧子

【合唱指揮】三澤洋史
【合唱】新国立劇場合唱団
【児童合唱】NHK東京児童合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

[芸術監督]尾高忠明
[共同制作]バイエルン州立歌劇場

(4月5日(土)新国立劇場大ホール)

過去記事:新国立劇場・ヴォツェック(2009年11月23日)

初日に行ってきました、びちゃびちゃヴォツェック。土曜というのに、あんまり席うまってないみたい。私の居た2階席の列は、がらがらで快適でした。まあ、劇場側としては困るが。

この演出の新国初演は観たので、今回は2回目。初演のときはあんまりはまらなかった。ぶっちゃけつまんなかった。なんか演出がことさら暗いし救いがないし。合唱団や出演者の衣裳やかつらがぜんぜん美しくなくて、正直まいってしまった。

ヴォツェック大好きなのに。

だけど、もうこういうもんだと最初からわかっていれば、もうがっかりしない。大丈夫だ。

初演ではまらなかった原因のもう一つは(ファンの方読んでたらごめんなさい)、ヴォツェック役の歌手もマリー役の歌手もぜんぜん私のタイプじゃなかったからかなあと思う。あたしの中のヴォツェックとマリーは、あんなじゃない。じゃどんな?って言われるとアレだけど。

だもんで、今回はマリーは私の好きなツィトコーワたんだし、ヴォツェックの歌手も映像で予習していったので、大丈夫だなって思った。

あと、はまらなかったもう一つの理由が、指揮がゆるすぎたからだと思う。これは・・・今回もわりと心配だったんだけど。

で。

前置きはこのへんにして、今回のヴォツェック。観に行って良かった。良かった最大の理由は、ヴォツェック役の歌手がよかったから。

ゲオルク・ニグルさん。ウィーン少年合唱団の出身だという。人気ソリストだったそうな。私は少年合唱団にとくに思い入れがないのでよく知らないんだけど、ウィーン少年合唱団は日本公演でちっちゃな子供向けのオペラをやってたので、彼はそういうのに主役とかで出てたんだと思う・・・「バスティアンとバスティエンヌ」とか。

小さいときから人前で舞台で演技をしてたから、そういう道に進んだのかなあと。ただのバリトン歌手ではなしに・・・演技派として。

いや、ほんと。ニグルさんは舞台俳優だと思った。私は何回かヴォツェックを(生でも映像でも)観たけど、まあ普通のバリトン歌手が演じるわけだから、ヴォツェックを表すのは歌手の演技というよりはその台本だったり、音楽だったりするわけなんだけど、ニグルさんの場合はホント、ちゃんとヴォツェックを演じてた、そのものになってた。

(前日の予習用に見たボリショイでの映像は、現代に置き換えた演出だったのでヴォツェックはスーツ姿だったんだけど、マリーを殺したあとの狂った演技がものすごくて、もう笑っちゃったほどよ。ニグルさんはシェーンベルクの「昨日から明日まで」の映像もあるらしい。)

ということで、席が空いてるのは勿体ないので、観に行って下さい。ニコニコキャンペーンとかいうのがあるらしいし。(しかし若者が「ヴォツェック」を口実に女の子を誘って、観終わったあともしかしてイヤーな空気になったり帰っちゃったりしないかなあと心配。これがもし「死の都」だったらいいデートになりそうなのだが。)

他の歌手。マリー役のツィトコーワたんはお人形さんみたいにカワイイ。声はさすがに(ワーグナーで鍛えてるだけあって)素晴らしい。ロシア人らしい深みのあるよく通る声だし、まったく隙がない。表現も素晴らしい。ただ(こんなことを思うのは私だけかもだけど)、こないだの「死の都」のマリエッタ役のミラーさんにも感じたけど、こういったビッチな役でも、普通はちゃんとした声楽の教育を受けて海外にまでやってきて歌ってるような(育ちのよい)歌手さんがするわけなので、どうしてもちょっとお上品に見えてしまう(私は)。彼女らは私生活では絶対オトコを誘ったりしなそう。これはまあ、舞台女優ではないので仕方ないことなのかもしれん。

(そう考えると、初めて生で観たマリー役のW・マイヤーはほんとに役にハマってたなあと。不自然さなしだったわ。納得。ベーレンスもマリーと似たような境遇の人生だったはずなので説得力あり。)

その他の歌手さん。アンドレス役の望月さんはいつもながら美声。妻屋さんはあのマッド・ドクターの衣裳を着ることをどう思っているのだろう。外国の歌手とまったく遜色ない歌いぶりなのは相変わらずだけど。実験用のねずみさんは昼公演のためケースの中で動かず(ねずみ、歌わない)。

子役の男の子はほぼ出ずっぱりの重要な役。前の時の子も思ったけどあの大舞台でちゃんと役目を果たしてて素晴らしいなと。カワイイし。

ちょっと注文があるとしたら、最後の少年合唱がちょっと元気良すぎるかなあ・・・もっと元気なくてヘタなほうが現実味(そこらへんの子供感)があってあたしは好きだ。ベーム盤の少年合唱ヘタだったもん。まあどっちでもいいけど。

オケは良かったです、間延びした感じは前回よりはなかったし。ボリショイのキレキレの指揮と演奏を聞いたあとだったのでちょっとアレでしたが。もうちょっとキレキレでもいいかもとは思いますが、これは指揮者のせいなのかもしれません。

前回の指揮者はカーテンコールのとき長いゴム長履いてたので期待してたんだけど、今回は普通の長靴だったので残念。
あと・・・あのびちゃびちゃ舞台で濡れたおふとんを布団乾燥機で乾燥させているところを見学してみたい、とか思った。

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2010年12月 8日 (水曜日)

ベルク/ピアノ・ソナタ 作品1 バレンボイム

P1110571ベルク:ピアノ・ソナタ 作品1
ダニエル・バレンボイム(ピアノ)

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ベルクもたまにはいいかな・・・というわけでピアノ・ソナタ。ベルクがシェーンベルクに作曲を習い始めて、作品番号がついた最初の作品。22歳から23歳の頃の作曲。

最初は3楽章の予定だったんだが第1楽章を書いたあと、次の楽章がどうにも先が続かず。はてどうしよう?と思ったら師匠に「これで言いたいことは全部言っちゃったんだからこれはこれでいいんじゃね?」的なことを言われて、はあ納得。ということでこのピアノ・ソナタは1楽章しかない。そしてこのCDでは11分半しかかからない。みじけえ。

しかし、この曲はカッコイイと思う。後年のベルクの音楽のカッコよさが垣間見える。トリフォノフが弾いたらきっとすごく似合うだろう(最近こればっかりだ)。

CDでこれを弾いているのはバレンボイムである。そもそもピアニストであるということを私はすっかり忘れてしまってたが、忘れちゃいかん。そういえば私はバレンボイムはナマではオペラ振っているのしか観たことない。

(話はガラっと変わって)

夕べ、たまたま夜中に目が覚めたので、ネットラジオで放送していたバレンボイム指揮スカラ座のワルキューレを聴いた・・・第一幕の後半だけ。まあ、ネットでやるくらいだから以下のような豪華メンバーであった。あ、ポーランド語なのはキニシナイ。

Ryszard Wagner Walkiria – dramat w trzech aktach

wyk. Simon O’Neill – tenor, Waltraud Meier – sopran, John Tomlinson – bas, René Pape – bas-baryton, Ekaterina Gubanova – mezzosopran, Nina Stemme – sopran, Danielle Halbwachs – sopran , Carola Höhn – sopran, Ivonne Fuchs – mezzosopran, Anaik Morel – kontralt, Susan Foster – sopran, Lean Sandel-Pantaleo – mezzosopran, Nicole Piccolomini – mezzosopran, Simone Schröder – mezzosopran, Chór i Orkiestra La Scali, dyr. Daniel Barenboim

しかし・・・サイモン・オニールという今売り出し中のテノール(ニュージーランド出身だそうな)はどうなんだろう。あたしはイマイチあの鼻にかかった声が好きになれなかった。ネット放送だから本質は伝えてないだろうけども。

あと、W・マイヤーもずいぶん・・・老けたなあという印象。外見は見えないけど、少なくとも声に関してはかなりジークリンデにはキツくなったなあと思った。日本でイゾルデを見聴きした時はこんなだったかなあ。パペはいつも通りだったけど。第一幕が終わって間髪入れず沢山のブラヴォー。さすがはワルキューレ。さすがイタリア。

で。第二幕以降は聴かなかった。だって翌日会社だもの。ニナ・シュティンメのブリュンヒルデは聞きたかったが・・・うむ。

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2009年11月23日 (月曜日)

新国立劇場・ヴォツェック

Pa0_0439_2アルバン・ベルク:歌劇「ヴォツェック」
トーマス・ヨハネス・マイヤー(ヴォツェック)
エンドリック・ヴォトリッヒ(鼓手長)
高野二郎(アンドレス)
フォルカー・フォーゲル(大尉)
妻屋秀和(医者)
大澤 建(第一の徒弟職人)
星野 淳(第二の徒弟職人)
ウルズラ・ヘッセ・フォン・デン・シュタイネン(マリー)
山下牧子(マルグリート)

ハルトムート・ヘンヒェン指揮
新国立劇場合唱団、東京フィルハーモニー交響楽団
アンドレアス・クリーゲンブルク演出

注)これから観に行く方は読まないで下さい~。

昨日に続いてのオペラ鑑賞である。二日続けてって正直言ってキツイんだが取っちゃったから仕方ない。ただ、ワーグナー二連ちゃんとかよりは全然マシ。
しかし・・・すごい楽しみにしてたヴォツェックなんだけど。どうだろう。うーん。12年も前に見た、シェロー演出のヴォツェックと比べる気もないし、「まー全然違うから」とか思って(かなりはりきって)臨んだんだけど、結局なんか・・・昔の印象をよっぽど引きずってるんだなあ私、と気付いたわけで。

えーと一言でいえば、今回のヴォツェックは「びちゃびちゃヴォツェック」である。舞台一面にお水が張ってあり、その上に箱型の室内がしつらえてあって、それがメインになったり奥まったりとかして舞台転換をしている。舞台装置とか衣裳とか、さすがドイツ製プロダクションという感じで色彩的に統一感があり、現代美術を見ているようである(日本人が作るとどうしてこういうふうにできないのだろう。歌舞伎はあんなにきれいなのに)。

で、演出家は「このびちゃびちゃの舞台を使って、じめじめした貧困さとかどん底さとかを表そう」とか思ったんだろうと思う(そうとも書いてあったし)。それはそれで成功してるし、しめたうまいこと考えたとか本人は思ってるかもしれない。

しかし、(私から見てだが)これがこの演出の最大のダメなところである。

舞台を水浸しにすることによって、出演者はみんなゴム長靴をはいて、滑って転ばないようゆっくりと登場する。または板の上に登場人物なり楽団なりピアニストなりが乗って、下で何人もの人が運んでいる。・・・ということですべて舞台進行がゆっくりとしたものになる。

ということで、アルバン・ベルクのこさえた音楽のいい面がぜんぜん死んでる。ベルクの音楽は舞台転換がすいすいと進むことに快感があるんだと思っているんだもん、私は。映画のフェイドイン・フェイドアウトのような感じ・・・たとえばヴォツェックとアンドレアスの場面から軍楽隊の音楽が急に入ってきて、マリーが登場・・・とか、マリーが殺されたあとにオケの大音響があり、それが終わってぱっと酒場の場面、とか気分いいくらいの舞台展開が・・・今回の演出にはない。まるで水中で行われているように(事実だし)ゆったりゆったりと進んでいく。

ぶっちゃけ面白くなかった。

他に気がついたこと。

・マリーの子供が結構活躍している。最初の場面から登場するから、大尉の「教会の祝福を受けていない子供」云々の話も子供は聞くことになる。子供っていっても設定的に結構大きいからわかっちゃうんじゃないかと。全体的にほぼ出ずっぱりで、テレビに出てる子供店長並みの働きである(わしはこんなオペラ出とうなかった~)。たまに水彩ペンキで壁に字を書いたりする。ヴォツェックにやじるしを向けて「←パパ」とか、失業者の集団の後ろで「お金」、そしてマリーに向かって「売女」と、もちろんドイツ語でな。

・マッドサイエンティストというか医者の役の妻屋さんはトーキョー・リングでおなじみのよいお声の歌手さんだが、考えてみると普通の人間の姿でお目にかかったことがない。いつも巨人とかな役なもんで。今日もすさまじいものがあった。大尉のへんな肉襦袢の衣裳とともに、なんか気の毒に思った。

・ヴォツェックのおかしな実験道具みたいなのに入ってた実験用ネズミさんは、ちゃんと生きてた。

・マリー役の人は全体的に顔の造作が大きい人で(目も口もでかい)、いかにも歌がうまそうな感じ(吉田美和タイプか?)。多少エロさが足りない気はする。浮気を反省するところは少しホロリときた。

・酒場の客の合唱団は男女ともハゲ、というか髪が薄いんだが。

・ヴォトリッヒはいつものよーに、声があんまり聞こえない。もう慣れた。

・アンドレアスの人は「おっ、きれいな声をしている」と感じた。

・マルグリートの胸は本物ではない。

・舞台上で使うマットレスは水浸しになったあとどうするんだろう。必死で乾かすのか、それともたくさん用意してあるのか。

・「アルバイト(労働)」と書いた失業者の人々がたまに施しのようなものに群がるのは・・・なんか身につまされるというか。現在の日本を見ているようだ。私だってこんな高い金払ってオペラ見てるけど、食費をなんとかものすごく切りつめてまでオペラを見るっていう底辺な生活を送ってるわけで・・・というわけでもうちょっと楽しいオペラが見たいんだけども(「じゃあ見るな」って言わないように)。

・だって、昨日の夕食なんかビーフステーキだぜ、一枚140円の。タイムサービスで意外と柔らかくて美味しかった。いつもありがとう業務スーパー。

・指揮者やオケについて、何か言うのは失礼に思う。この演出ではキビキビと曲を進めようと思ってもできないのかもしれないし・・・よくわからないが。ちゃんと音楽は進んでた。

・カーテンコールで、指揮者等もゴム長靴履いてたのがちょっと笑った。

・昨日のカプリッチョが懐かしかった。演出過剰とか思ってごめん。

・批評が厳しいのは曲への愛情の裏返し。

・拍手はたくさんだったし、ブーイングはありませんでした。ただ・・・帰り道の観客の皆さんはほとんど「?」って感じの顔でした。

・ヨーロッパから遠い異国の日本でヴォツェックが見られるなんてありがたいと思いなさい(←自分に向って)。

Pa0_0438Pa0_0437ツリーの前で、ヘブンアーティストさんが一生懸命曲芸をしてたんだけど、お金あげなくてごめんなさい。

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2009年11月 7日 (土曜日)

アバド/ヴォツェック


ベルク:歌劇「ヴォツェック」
フランツ・グルントヘーバー(ヴォツェック)、ヴァルター・ラファイナー(鼓手長)、フィリップ・ラングリッジ(アンドレス)、ハインツ・ツェドニク(大尉)、オーゲ・ハウクランド(医者)、ヒルデガルト・ベーレンス(マリー)、アンナ・ゴンダ(マルグリート)その他
クラウディオ・アバド指揮/ウィーン国立歌劇場合唱団、ウィーン少年合唱団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

過去記事:バレンボイム・ヴォツェック(97年)

ケーゲルのヴォツェック

ベーム・ヴォツェック

ミトロプーロス/ヴォツェック

もうすぐ、新国立劇場のヴォツェックらしいですね~。 (何故他人事)

Ko_20001667_chirashi_2  で・・・・・・・まあ楽しみなことは楽しみなんだけれど、こないだ新国のチラシの舞台写真を見たら、なんじゃこりゃ。なんか・・・もしかしてすごい前衛的なのかしら。ぱっと見はドイツ現代演劇っぽいなあ。ただでさえ音楽が前衛的?なのに、視覚的にも前衛的なのかえ。私はシェロー演出のしか見たことないからどうも想像がつかないや。

シェローの演出はとくに変わったことはしてないし、舞台装置もシンプルでわかりやすかったからね。どんなだろう、ドキドキ。(あと、そもそも演奏がちゃんと進むのかもちょっと心配。酒場の場面の合唱とか。杞憂か?)

そういえば、今日はなんか新国立で「オペラ・トーク」なるものをやったらしいですね。さっきHP見て気がついたくらいなので行かなかったけど。

で、ウチに何組かあるヴォツェックのCDの中の一つ、アバド盤は実は一番最初に購入したものである。国内盤だからちゃんと対訳ついてるしね。はじめはこの曲は対訳ないと辛いと思う。私が思ってるだけかもしれないけど、心構えとしてこのオペラは「演劇半分歌劇半分」と思ってかかったほうがいいかなと。

とはいうものの、以前は実をいうと(前にも書いたけど)このオペラが「ルル」と比べてあんまり好きでなかった・・・というか入り込めなかった、耳で聴く音楽だけでは。全然優美なメロディはないし、すごくとんがった印象だし。マリーが出てきて「ちんぶんちんぶん」言い出す所で初めて入り込んで行く感じだ。

ずっとそんな調子なままだったのに・・・(バレンボイムの)初ヴォツェックを見に行って、頭に拳銃で撃ち抜かれたかなくらいの衝撃を受けて(マリーが聖書を読む場面で大泣きまでして)帰ってきた。で、その時思ったのは・・・まず「ヴォツェック」は舞台で見るしかない。心から理解したいなら舞台で見るのが一番だなあと。見に行けば「ははあ、この曲が傑作と言われているゆえんはこういうことか」と気がつく。で・・・今年はそれができるめったにないいい機会なわけだ。

(まあ、耳で聴いてるだけで「素晴らしい!」って思ってる方もおそらくたくさんいらっしゃるとは思うんですけど・・・このオペラがよくわからんって人のために言うんだけどね)

あ・・・で、アバド盤でありますが。
こないだ亡くなった(うえーん)ベーレンスのマリーの歌唱が素晴らしい。実演で見たヴァルトラウト・マイアーは外見からして映画みたいに美人で色っぽくて「なるほどな」と思ったけど、ベーレンスのマリーは・・・なんというか。日本で言えば四畳半の安アパートで子供を育てながら細々と暮らしている生活感が外見的に漂っている・・・部屋にはちゃぶ台しかなくてさ、シミーズとか着てるんだよね。で、出がらしのお茶とか飲んじゃうんだ。
まあ、CDを聴くぶんにはあんまり容姿は関係ないけど。(ベーレンスはホントに息子を一人で産んで育ててたんだったっけ、今思い出した)

あと、私のアイドルのツェドニクはもちろんいいぜ。イカスぜ。

アバドの「ヴォツェック」は残念ながら日本公演は見なかったんだけど(あたしのバカバカバカ!ベーレンス出てたら絶対見てたぜ)、シンフォニックな感じでかなり聴きやすいかと。アバドはそもそも新ウィーン楽派得意だしな。ウィーン・フィルはお国ものってこともありやっぱりうまい。

・・・ということで、もしかして今回のヴォツェックで「何かよくわかんないけど付き合いで行かなきゃなんない、どーしよー(怯)」とか思ってる人もいらっしゃるかもしんないですが、そんなに恐れることはないと思う。たとえば・・・火曜サスペンスとか見に行く感じで大丈夫かと。ま、短いし(笑)。


・・・・演出にもよるけども。
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2009年9月 1日 (火曜日)

ベルク/ヴァイオリン協奏曲 ショルティ

P1110225 ベルク:ヴァイオリン協奏曲 
チョン・キョンファ(ヴァイオリン)
サー・ゲオルグ・ショルティ指揮/シカゴ交響楽団





まあ・・・・ね。一応時節柄の話題を。

政治のことはほんっとに詳しくないので、文章にする頭はないんだけれども。

私は今回も投票に行った。行ったことは行った。大人だから一応投票した。小さいからといって子供に間違えられたりはしなかった。風船も配られなかったし。

(ところで、ウチの投票所って風船ふくらませないで子供さんにゴム状態で配ってた。「インフルの影響で、おじさん膨らませられないから、自分で膨らませてね」とか言ってた。つか、今まで係のおじちゃんたちがふーふー膨らませてたのか。大変だな。)

で、まあ。
どこに投票したかはナイショだけんども。

『じみん』はやっぱり今回はいかんかったと思う。何がいかんというと。

見たとたん頭にきて捨てちゃったんだけど、「みんなが『みんす』に入れると日本はこんなひどいことになりますよ~」みたいな小冊子がある日ウチのポストに入ってたのである。目を疑ったけど『じみんとう』って後ろにしっかり印刷されてた。

まあ、もしかしてこれは正しいことが書いてあるのかもしれないけど・・・人としてどうなんだろうか。

例えば、中学の生徒会長の選挙で、同じことしたとする。立候補した生徒がライバルのことを書いて、他の生徒の家のポストに入れたとする。

たとえばこんなふうに。

「立候補した○○君が当選したら、夏休みの宿題が増えますよ~」
「給食のカレーライスがすくなくなりますよ~」

そんなことした生徒には投票しないな、私は。

まあ、大人のやってる選挙だから、そりゃーそんな幼稚なことでもないのかもしれないけど、頭の悪い私にはそういう風に感じた(きっと同じことを感じた人はいるんじゃないだろうか)。だからどっちにも入れなかった。日本はこれからどうなるのだろう。私にはよくわからない。不安。

・・・

ところで・・・ベルクだった(まあ、全然関係なかったわ、ごめんなさいね)。

ショルティってベルクの録音は他に残してったっけか? もしかしてこれだけなのかしらん。ベルクの師匠のシェーンベルクは「モーゼとアロン」とかあったけんども。

ショルティのCDは・・・結構ウチはまあまああるんだが(子供の頃は1970年代のデッカ録音で育ったもんで。あのへんの録音が今も一番すばらしいと今も信じている)ファンっていうほどでもない。ショルティはダメなときもある。いいときもあるが・・・みんなそうだが。

たとえば。

ショルティがベルクのオペラの指揮をするところがあまり想像できない。どうなんだろう。「ヴォツェック」はまだしも「ルル」なんかどうも合わない気がするんだが。

だもんで、ちょっと興味があってショルティ指揮のヴァイオリン協奏曲を買ってみたんだが(ずいぶん前)、そんなに聴かないでほっぽってあった。でも、久しぶりに聴いてみると・・・普通にしっとりとしたいい演奏である。ことさらこってりとしたウィーン世紀末の空気を感じるわけでもなく、狂ったショルティっぽくないし、ことさらハゲしい演奏というわけでもない。チョンさんのヴァイオリンが素晴らしく、ショルティがそれに沿っていて伴奏に徹している感じである。例えば第2楽章の冒頭なんてもっと激しい出だしの演奏はいくらでもありそうなもんだが、結構おとなしく感じる。

なあんだぁ。あたしはもっと激しいほうが好きだあ。

で。また突然だけど最近はショルティ指揮の「ファウスト交響曲」を買おうか買うまいか検討中。なんか・・・合いそうでしょ?

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2009年4月23日 (木曜日)

ブーレーズ指揮/ベルク・ヴァイオリン協奏曲

P1110173ベルク:ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出のために」
ピンカス・ズッカーマン(ヴァイオリン)
ピエール・ブーレーズ指揮/ロンドン交響楽団

またベルクのコンチェルトかよ~~~!と言わないでほしい。今日のこの曲は意味がある。今日は23日である、ということの他に。

えーと、ここ何日かのショッキングな事件3つ(私にとって)について。

・清水由貴子さんの自殺
・草なぎ剛くんの・・・
・アシュリー・ヘギちゃんの死亡記事

ということで、三つともかなり私には「きた」。

清水さんは「欽ちゃんバンド」で毎週見ていたし、「OH!階段家族」(←これを知ってる人はかなりマニアだ)とか見てたんで結構印象に残っている人だ。

介護問題も自分としては避けて通れない・・・今両親は元気だけれども。とても考えさせられるし。

剛くんも「ぷっすま」が大好きで毎週見ている私としては「え~?番組どうなっちゃうの?」と心配だし。あの剛くんのボケっぷりが好きだったのに。

・・・ということだけれど、今日の本題はアシュリーちゃんだ。彼女の訃報をネットで見て、(こじつけでなく)ベルク・ファンの私はこの曲が思い浮かんだ。今やこの曲にぴったりなのは彼女しかいない(死んでしまったが)。

カナダのアシュリー・へギさんはカナダのプロジェリア患者。この病気は先天性のもので、症状としては色々あるが、1年に10歳くらいのスピードで体は老化するらしい。

アシュリーちゃんのテレビのドキュメンタリーはいくつか見ていた。しかし全部見たかと言えば自信はないし、最近どうしたのかしら~とかたまに思い出して心配していたんだが。テレビでは、このままでは治療法も何もないので新しい(まだ確立されてない)治療法を試す決心を両親とともにした・・・とかいうとこから見ていない・・・が、4月21日に17歳でお亡くなりになったという。

この病気についてはアシュリーちゃんしか知らないので何とも言えないけれど、テレビで見た限り肉体の老化とともに精神面もどんどん向上していくような感じを受ける。年齢ではまだまだ子供のはずの彼女の言動は、周りの大人を精神面で大きく超えている。いい大人の私から見ても、ティーンエイジャーであるはずの彼女は高い精神性を持っている人だと思う(テレビで見ただけなもんで、影ではどうだったのか知らないけども)。

というかアシュリーちゃんだけでなく、難病に侵された子供が回りの大人を超えてしまうほど高い精神性を持つ、ということは多々あるのでは? 病気をかかえている患者本人が周囲を逆に励ますみたいなことを闘病記などでよく見かける。

この曲のもとになった(ここのブログでは何度も何度も書くが)エピソードはアルマとワルター・グロピウスとの間に生まれた娘・マノンの苦しい闘病生活の末の死である。彼女は重い小児麻痺で18歳の若さで亡くなった(ベルクの伝記によると。ウィキペディアでは19歳との記述)。

ベルクの伝記では「マノンを知っていた人はみな、この美しく、ほがらかで魅力的な少女を称え、そして女優の道を歩み始めたところで重い小児麻痺に一年間耐え抜いた天使のような忍従の姿を伝えている。」とある。想像だけど、おそらく病の苦しみに耐えながら周りに心配かけまいとしてふるまったのでは、と思う。

で、この曲は(新ヴィーン楽派の中でも)人気曲であるから沢山のCDが出ているし私も何枚も持っている。今回のこのCDはブーレーズ指揮というだけでもポイントはかなり高いが、まず素晴らしいのはこのジャケットである。マノンの横顔がとってもいいし、またこの文字のデザインも素晴らしい。私の持っている(すべての曲の)CDの中でもジャケットが気に入っているものの一つ。

演奏もまた、ズッカーマンが(ブーレーズの指揮に沿っていて)あまり過度に浪漫ティックでないのがいい。なんか現在売ってないのかなあ、残念。

そういえばホーキング博士も心配だ。



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2009年1月24日 (土曜日)

マゼール/ルル

ベルク:歌劇「ルル」
ユリア・ミゲネス(ルル)、ブリギッテ・ファスベンダー(ゲシュヴィッツ)、ハインツ・ツェドニク(画家)、テオ・アダム(シェーン博士)、リヒャルト・カルチコフスキ(アルヴァ)、ハンス・ホッター(シゴルヒ)、クルト・リドル(力技師)、その他
ロリン・マゼール指揮/ウィーン国立歌劇場管弦楽団
(1983年ウィーン国立歌劇場)

過去記事:まだ聴けてないルル



新国ではこの曲は鬼門か?

このCD取り出すの久しぶりっす。私の最高に愛するオペラを、私が最も愛する歌劇場で、最も苦手な指揮者が指揮した貴重な録音がコレである。

おととしの年末に買ったんだな確か。でも全然聴き進めなくてこのまま。なんかやっぱり聴かなきゃって思った。こないだの「抒情交響曲」のときに、すこし「マゼールらしきもの」に慣れた感じがしたんで。

聴いているとなんだか「イラっとする」この感じがマゼールなのかなあ?とか思い。最初っからなんじゃこのおっそいテンポは。何かの発作か。これぞマゼール・クォリティ。

何か別の音楽に聴こえる部分も多々あり。そもそも静謐にして繊細なこの音楽が、ただのビョーキの音楽に聴こえる。ウィーン・フィルのミョーなバラバラ感も気になるが、こういうアプローチもありか?

で、この個性的な指揮ぶりはおいといて。このウィーン屈指の名歌手(ホッターまでいる)のそろい踏みの中で、ルルっていうよりやっぱりカルメンみたいなラテン系のユリア・ミネゲスの歌唱も私の中では違和感あり。一言で言って品がないのである。あばずれ女っつーか。(ルルはあーゆー出生だがあばずれ女ではない)

このCDを買って最初に聴いたときはなんか「アニータみたい」とか思ったけど、今やとっくにアニータの影が私の中では薄れてしまったので、そのラテン女っぽいイメージから思いついたのはやっぱりカルメンか、(マニアックな例えで申し訳ない)「板尾の嫁」である。あたしの中ではルルは、ずっと(昔の映画の)ルイーズ・ブルックスのごとき黒髪おかっぱなもんであーゆーラテン的な容貌は相いれないのよ。ま、CDだから顔は見えないけども。

文句ばっかり言ってもしょうがないから他の歌手の話でも。テオ・アダムがシェーン博士なのがまずヨイ。また、ウィーンの名花ツェドニクはこの画家(&黒人)役を歌うために生まれてきたのではないかと思うほどで、ぜひナマで見たいわ、とくに第3幕のユアフビーの黒人役は(普通でも怪しい役なのに)さらに怪しそう。

さらに「この役はきっとこの人をイメージして書かれたのよ」と思うファスベンダー(声だけ聴いていると少し演技しすぎな気がするが。個人的にはミントンのほうが好き)、晩年は声も(喘息だし)容貌も役に合ってたかなと思うホッターのシゴルヒも、なんとも豪華である。

最後は結構ブラヴォーがたくさん聴こえる。いい舞台だったようだ。

とはいえ、あんまりこのCDを他人に薦める気はありませんがね(はは)。・・・何故買った。


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2008年9月27日 (土曜日)

アバド/ルル組曲&アルテンベルク歌曲集

P1110109ベルク:「ルル」組曲、3つの管弦楽曲
アルテンベルク歌曲集

マーガレット・プライス(ソプラノ)
クラウディオ・アバド指揮/ロンドン交響楽団

過去記事:ブーレーズ/ルル組曲









このところ、ずいぶんベルクを聴いてないなあ。ていうわけで、今日はアバドの指揮でな。おお、これは一番いい時代のかっこいいジャケットですな、若過ぎでもなくちょうどいい感じ。ジャケ買いではないよ言っとくけど。

私は指揮者アバドと意外と縁がない。実演、一回も聴いてないし。

原因としてはヴェルディをあまり聴かないのと、マーラーの録音は子供の頃はメータ&ワルター派であったので、アバドが一番かっこよく大活躍してた頃もほとんど聴かなかった。別に嫌いなわけではなく、なんかのめぐりあわせであろう。中学生の頃は経済的にも、色々聴き比べるなんてことはできなかったし。

アバドはウィーンで学んだだけあって相性がいいのか、ベルク(や他の新ウィーン楽派)の録音は少なからずある。もちろんVPOとの名盤「ヴォツェック」はたまに聴くけど(この演奏がマーラー好きには一番入りやすいと思うよ)、「ルル」全曲はやんなかったのかしらん。

ベルクの管弦楽曲&歌曲集のCDをアバドは他に2枚録音してるはずだが、なんだか持ってない(大好きなエゴン・シーレのジャケットであるのに)。

私の持ってるこのCDはVPOでないのはとっても残念だが、「ルル」組曲はブーレーズの演奏とは違ってアバドの演奏は全体に非常に熱っぽい。後期ロマン派?みたいな演奏である。マーラーを尊敬したベルクであるから、「3つの管弦楽曲」なんて『え、もしかしてマーラー?』と思えるような曲に聞こえる。

このCDでソプラノ独唱を務めているマーガレット・プライスは、ご存じC・クライバーの「トリスタン」でイゾルデを歌ってた歌手。まー、実際の舞台でイゾルデを歌ったんだか不明だが、録音だけで言えばイゾルデだろうがマルシャリンだろうが大変美しく歌う人じゃないかと思う。声はとっても好きな歌手である。

無論、このCDで歌ってるルル役は舞台では歌ったことないだろう。そんなことあったら国際ルル規約に反する(ルルはド外れて美人じゃなきゃイカンと作曲者も言ってるし)。しかし、この録音では大変美しくルルを歌っている。これを聴くとアバドは「ルル」全曲も録音してほしかったなあと思う。←アレ?何故過去形。

CDの最後に入っているアルテンベルク歌曲集は一曲一曲がとっても短いので5曲がすぐ終わってしまう。ウィーンの変なおじさん、ペーター・アルテンベルクのコレクションした絵葉書に添えられたウィットに富んだ詩(というか短歌くらいな長さ)に曲をつけたものである。曲は短いが伴奏の管弦楽はマーラーやシュトラウスくらい大規模だ。

この曲のスキャンダラスな初演(シェーンベルク指揮によるコンサートで2曲演奏)は音楽史に残るくらい有名なのかなあ? ウィーンの新聞記事が伝記に載っていて印象的だったので、引用してしまおう。

(前略)アルバン・ベルクのペーター・アルテンベルクの絵葉書に書かれた詩による2曲のオーケストラ歌曲はしかし、それまで冷静だった人たちからも自制心を失ってしまった。最初の詩はこうである。

お前は雷雨の後、森を見たか?
すべては安らぎ、輝き、前より美しい。
ごらん、女よ、お前にも嵐が必要だ!

この愉快で他愛のない絵葉書の詩句につけられた音楽は、(この日のコンサートの)これまで聴いたものの中では一番の出来であり、こういうものを聴いて心から笑うことで満足しようとしたのはひとえにヴィーン人の気立ての良さのゆえである。しかしシェーンベルクが急に曲を止め、聴衆に向って、平静を乱す者は公的な力で強制的に退場させると叫んだことによって、また新たに、ひどく興奮し激昂した野次、殴り合い、挑発の怒号が巻き起こった。(後略)<シェルリース著/アルバン・ベルク 生涯と作品>


この本で見る限りこのコンサートのむちゃくちゃ加減はハンパなかったものと思われる。あの温厚で物静かなウィーンの人々(しかも昔の人だ)が演奏会でこんな大騒ぎを起こすなんて、よっぽどこの曲が前衛的だったのか、それともシェーンベルクの空気の読めなさが原因だったのか・・・わからん。 KYですねシェーンベルク、わかります。




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