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2022年4月30日 (土曜日)

ワーグナー/トリスタンとイゾルデ ウィーン国立歌劇場ライヴ・ストリーミング

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いつか再開するのかな〜とたまに起動してたウィーン国立歌劇場のアプリだか、先日の新国立劇場の「ばらの騎士」に合わせて(なのか偶然なのか知らんけど)本場の「薔薇の騎士」を配信してくれた。新国立劇場だって素晴らしかったけれど、やっぱり本場はすげえなって思いつつ見てた。オクタヴィアン役の歌手が高身長で演技も素晴らしかったしかっこよかったなあ。

次の配信の演目の「ランメルムーアのルチア」は残念ながら全部見切れず。その次がこのトリスタンである。いつまで見れるのかな。演奏は大変素晴らしい。フィリップ・ジョルダンの指揮も(デモーニッシュなところはないけど)軽快で素晴らしい(アルミン・ジョルダンの息子さんね)。

ところで。

「このコロナ禍で悔しかったことベストテン」をやったら(数多く挙げられる中で)「東京春祭のシャーガーさんのトリスタンが中止になった事」がわたしの中では堂々の第一位である。もう彼のトリスタン(や、他の諸役)を見聞きするには、ウィーンやベルリンに行かないといかんのかなあ、とか憂鬱になる。わたしは数多くの「トリスタン」を見聞きしてきたけれど、最初から最後までちゃんと(力を抜かず)歌われたトリスタンは2回しかない。シャーガーさんはその3回目になるはずだった(多分)のである。


この公演でのシャーガーは絶好調で、最初から最後まで声をビンビン響かせている。クルヴェナルやイゾルデと抱き合って歌うところなど、(彼のリサイタルを前の方で見聞きしたもので)相手の歌手は耳がかなりしんどかったのではないだろうか。第3幕でクルヴェナルは瀕死のところなのにイゾルデの到着で力一杯歌うトリスタンの横で耳を塞いでいた(演技なんだろうけど)。

イゾルデ役のマルティナ・セラフィンは前にトーキョー・リング再演の時にジークリンデを歌ってた人である。すっごい声量のある人だなあとびっくりした覚えが(というかわたしの感想では)あるが、まあウィーンでこのくらいよく歌ってくれれば文句はないなって感じのレベル。ブランゲーネのグバノヴァは綺麗で歌も良い。全くどうでもいい事だが、ブランゲーネの衣装のグリーンのワンピースがとても素敵で(なんでイゾルデは同じグリーンでもあんな変な水玉模様なんだろう、でもジャケットの裏地は細かい水玉模様で可愛いな、とは思った)あの柄があったらワンピース作りたいな、とか思った。

ルネ・パペがマルケ王なのも豪華だなあと。パペのマルケ王は随分前にベルリン国立歌劇場の引越し公演で見聞きしたが(その前にフンディングでも見てるな)、相変わらずいい声。しかし、第2幕で子供連れだったのはなぜ。

こんなに素晴らしいレベルでトリスタンを券取れて見られればもう本望よ!ってくらいの公演だと思うけど、やっぱり演出の意図がさっぱりわからんかった。いや、演出の意図がわかるような(プレーンな)演出のワーグナーは、もうドイツやオーストリアのでかい劇場では見られないのかもしれない。第1幕のたくさんのブランコ(大人がブランコ乗ってると黒澤明の「生きる」を思い出す)もびちゃびちゃの舞台もよくわからんし、第2幕の別々の部屋で壁紙や家具やら破壊しまくるトリスタンとイゾルデもよくわからん(コロナで隔離されてるのかと思ったけど違ったみたい)し、生魚を捌いているブランゲーネも気の毒だし(鱗をカリカリ削ったり内臓を出したりしてた)、「この演出は無視して音楽にのめり込むのが1番良い鑑賞法かな」と思うように見てた。

だが、第3幕ではもう無視するとか無理だった。演出家が「ふっふっふ、わたしの演出は観客をこの曲に集中できないようにしてるんだよ」みたいに言われているような気がした(わたしは)。幕が開いてすぐ何十人もの全裸の男女(全裸だぜ)が舞台にいて、男同士で(女同士で?)抱き合ったり〇〇したり。パ〇パンだからまだいいようなものの。画面の前で「ひゃー」となってしまった。シャルマイ吹いてるはずの牧人の役の人も別に楽器を吹くそぶりもなく、座ってるだけだし。

でもまあ、最後はちゃんとトリスタンは死ぬし、愛の死歌ったあとにイゾルデも、結構落ち着いてぶっ倒れてたダイニングセットを綺麗に整えてトリスタンを座らせ、自分も向かいに座って死亡。「本当はこんな生活を夢見てたんだよね」みたいな不倫カップルの死に方(かな?)。

 

 

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