グレの歌 カンブルラン
シェーンベルク:「グレの歌」
ソプラノ=レイチェル・ニコルズ
メゾ・ソプラノ=クラウディア・マーンケ
テノール=ロバート・ディーン・スミス、ユルゲン・ザッヒャー
バリトン・語り=ディートリヒ・ヘンシェル
指揮=シルヴァン・カンブルラン
読売日本交響楽団
合唱=新国立劇場合唱団(合唱指揮=三澤 洋史)
メゾ・ソプラノ=クラウディア・マーンケ
テノール=ロバート・ディーン・スミス、ユルゲン・ザッヒャー
バリトン・語り=ディートリヒ・ヘンシェル
指揮=シルヴァン・カンブルラン
読売日本交響楽団
合唱=新国立劇場合唱団(合唱指揮=三澤 洋史)
(3月14日 サントリーホール)
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給与計算真っただ中の中、むりやり業務を終わらせてフレックスで都心から遠く離れた会社から1時間以上かけてサントリーへ。なんと遠くなったのだろう。地方から都心に駆けつけるクラヲタの気持ちが少しわかる。帰りは20分くらいなんだけどね。
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給与計算真っただ中の中、むりやり業務を終わらせてフレックスで都心から遠く離れた会社から1時間以上かけてサントリーへ。なんと遠くなったのだろう。地方から都心に駆けつけるクラヲタの気持ちが少しわかる。帰りは20分くらいなんだけどね。
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券は早々に完売、しかし当日になって当日券は若干出ますとのことだったが、行ってみると(アッシジのときみたいに)当日券のところに人が並んでいるわけでもなく、結構普通に買えてるのを見て、「意外と当日券20枚に萎えて諦めちゃった人も多かったのかも」などと思ったりもした。
.生グレは4回目。ずいぶん昔になるけど、私にとっていまだにベスト生グレは若杉さんとN響の演奏である。YouTubeに上がっているのでご興味のある方はご覧になるとよい。さすがに日本人の主役二人の方はひと昔前感はあるものの素晴らしい(テノール独唱がオケに埋もれずちゃんと聞こえる)し、それをはるかに飛び越えた高いレベルのルンケルの山鳩の名唱は歴史に残るものだと思う。何より若杉さんのメリハリの効いた指揮と完璧なテンポ感は、録画でもよく伝わってくる。
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ところで今年はグレの歌当たり年。大規模なオケと合唱・名歌手を必要とするためにそう滅多にやらないこの曲を、3つの日本のオケが取り上げる。もしかして「日本グレの歌選手権」でもあんのかな?と思うくらい歌手が凄いゴーカである。ほぼみな外人で、主役級はバイロイト他世界の歌劇場で歌う名歌手を揃えてきている(藤村さんは言うまでもなく「外国人級」枠である)。とくにノットが語り手に名歌手トーマス・アレンをぶっこんできたのはイギリス人の本気を感じる。
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さてカンブルラン。何年か前の読響「トリスタンとイゾルデ」の時のイゾルデとブランゲーネの役の歌手をキャスティング。テノールにはヘルデン・テナーで有名なロバート・ディーン・スミスと万全である。
ところで今年はグレの歌当たり年。大規模なオケと合唱・名歌手を必要とするためにそう滅多にやらないこの曲を、3つの日本のオケが取り上げる。もしかして「日本グレの歌選手権」でもあんのかな?と思うくらい歌手が凄いゴーカである。ほぼみな外人で、主役級はバイロイト他世界の歌劇場で歌う名歌手を揃えてきている(藤村さんは言うまでもなく「外国人級」枠である)。とくにノットが語り手に名歌手トーマス・アレンをぶっこんできたのはイギリス人の本気を感じる。
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さてカンブルラン。何年か前の読響「トリスタンとイゾルデ」の時のイゾルデとブランゲーネの役の歌手をキャスティング。テノールにはヘルデン・テナーで有名なロバート・ディーン・スミスと万全である。
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とくに清楚にして声量もあるレイチェル・ニコルズのトーヴェを、私は一番楽しみにしてきた。相変わらずのキュートなショートヘア、ワンショルダーのシックでセクシーなドレスがお似合いですわレイチェル。紹介文を見ると近年はシュトラウスのエレクトラを歌ったらしい。えー、バッハの宗教曲のソリストもする人がエレクトラ・・・汚れ役もやるんだねえ。YouTubeを探すと予告編的なのが上がってたけど。
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肝心の演奏だが。カンブルランの演奏は全く意外なことにやや遅いテンポでゆったりと聴かせていた。前の「トリスタン」みたいな快速演奏を想像していたので全く驚いた。しかし、テンポが遅いからと言って全くだれることはない。
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ヴァルデマル王のDスミスは(私は一階席の左端に近い席だったので見えにくかったのだがどうも暗譜だったようだ)とにかく「王様感」が凄い。外見から言ってもう王様そのものである。そこに相手役の清楚な「少女トーヴェ」にニコルズはぴったり。そのままオペラの舞台でもよさそう。二人の歌唱はまったく重なることなく、紅白歌合戦のように世にも美しいメロディーを惜しげもなく交互に歌う。一個一個のメロディをオペラアリアにしてもいいくらいなのに、美メロの無駄遣い。
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さすがにオケの大音量でテノールは埋もれてしまったところもあったけど、後半は力いっぱいの美声で高音を響かせていた。凄い凄い。ニコルズもまるで周りは星空のように輝かしく、不思議な少女トーヴェを歌う。トーヴェはずっとこのまま、舞台に残って歌って欲しいと思ったけど前半しか出ないんだよね。
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さて、もう一人の主役山鳩。前のブランゲーネは主役を食う勢いの素晴らしいマンーケだったが今回の山鳩も素晴らしく。人間じゃなく鳩に何故こんなドラマティックな歌を?といつも思うが、深い表現を求められるので名歌手しか歌わない。(メゾソプラノの目標と思われる役だが、Twitterを漁ってたら清水カスミさんも聴きにいらしてたらしく「いつか歌ってみたい役」とのこと。彼女の山鳩聴きたいな。)
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第1・2部が終わり休憩。ワーグナーのオペラにも増しておっさん率高く、男性トイレの行列が見られた。
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第3部。いつものようにオケの後ろの座席に合唱団が現れたが、意外なくらい人数が少ない。「こんなもんだっけ?」と若干当惑。少数精鋭なのかしら。
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第3部は第1,2部とはちがい、後期ロマン派のねっとりと爛熟の世界から、のちのシェーンベルクの作品に近い無調なエキセントリックな感じになっていく。最初に大部分作曲したあと10年くらいしてあとのほうをオーケストレーションしたもんで(すでに無調の人になってた)、前半と後半の雰囲気が違う。それでふと思い出したが、ずいぶん昔にストラヴィンスキーの「夜鳴きうぐいす」というオペラを聴きに行ったときも同様な事情があり、もう前半と後半がまるで違う作曲家が作ったみたいになっててそれはもう凄い違和感だったのを覚えている。
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私の頭の中では、前半は昨年観たエドアルド・ムンク展の数々の絵画で、後半はこないだネットで観た映画「ティム・バートンのコープスブライド」のストップモーションアニメの白黒の世界が広がっていた。骸骨の家来とともに毎晩荒々しい狩りを続ける王様、怯えて大声を上げる農夫たち、わけのわからない歌詞の滑稽な歌を歌う道化師(中学生のころから「パレ・グローブとエーリク・パーって誰だろう。今は子供だからわかんないけど、大人になったらわかるんだろう」と思って人生を送ってきたけどいまだにわからん)、そして最後はシェーンベルクお得意のシュプレッヒシュティンメの感動的な語り・・・ああ、なんという素敵な世界。シェーンベルクは絵がヘタクソだったから奴に映像化はムリだけど、ティム・バートンに映像化して欲しいな。
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さすがに最後の合唱は新国立だけあって素晴らしかったが、もうちょっと人がいても良かったかな感。フライング・ブラボーもなく、よいお客さんに恵まれた。TVカメラが入り録音もしてたのでもしかしてアッシジみたいにCD化されるのかな。されたら欲しいな、レイチェルさんの歌をまた聴きたい。もうすぐ読響を離れるカンブルランへの感謝の拍手はなかなか終わらず、私も合唱団がはける最後まで拍手をした。まあ、曲に慣れているせいか初アッシジの時みたいな衝撃はなかったけれど、素晴らしい音楽を体いっぱいに浴びてとてもいい気分だった。
とくに清楚にして声量もあるレイチェル・ニコルズのトーヴェを、私は一番楽しみにしてきた。相変わらずのキュートなショートヘア、ワンショルダーのシックでセクシーなドレスがお似合いですわレイチェル。紹介文を見ると近年はシュトラウスのエレクトラを歌ったらしい。えー、バッハの宗教曲のソリストもする人がエレクトラ・・・汚れ役もやるんだねえ。YouTubeを探すと予告編的なのが上がってたけど。
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肝心の演奏だが。カンブルランの演奏は全く意外なことにやや遅いテンポでゆったりと聴かせていた。前の「トリスタン」みたいな快速演奏を想像していたので全く驚いた。しかし、テンポが遅いからと言って全くだれることはない。
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ヴァルデマル王のDスミスは(私は一階席の左端に近い席だったので見えにくかったのだがどうも暗譜だったようだ)とにかく「王様感」が凄い。外見から言ってもう王様そのものである。そこに相手役の清楚な「少女トーヴェ」にニコルズはぴったり。そのままオペラの舞台でもよさそう。二人の歌唱はまったく重なることなく、紅白歌合戦のように世にも美しいメロディーを惜しげもなく交互に歌う。一個一個のメロディをオペラアリアにしてもいいくらいなのに、美メロの無駄遣い。
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さすがにオケの大音量でテノールは埋もれてしまったところもあったけど、後半は力いっぱいの美声で高音を響かせていた。凄い凄い。ニコルズもまるで周りは星空のように輝かしく、不思議な少女トーヴェを歌う。トーヴェはずっとこのまま、舞台に残って歌って欲しいと思ったけど前半しか出ないんだよね。
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さて、もう一人の主役山鳩。前のブランゲーネは主役を食う勢いの素晴らしいマンーケだったが今回の山鳩も素晴らしく。人間じゃなく鳩に何故こんなドラマティックな歌を?といつも思うが、深い表現を求められるので名歌手しか歌わない。(メゾソプラノの目標と思われる役だが、Twitterを漁ってたら清水カスミさんも聴きにいらしてたらしく「いつか歌ってみたい役」とのこと。彼女の山鳩聴きたいな。)
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第1・2部が終わり休憩。ワーグナーのオペラにも増しておっさん率高く、男性トイレの行列が見られた。
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第3部。いつものようにオケの後ろの座席に合唱団が現れたが、意外なくらい人数が少ない。「こんなもんだっけ?」と若干当惑。少数精鋭なのかしら。
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第3部は第1,2部とはちがい、後期ロマン派のねっとりと爛熟の世界から、のちのシェーンベルクの作品に近い無調なエキセントリックな感じになっていく。最初に大部分作曲したあと10年くらいしてあとのほうをオーケストレーションしたもんで(すでに無調の人になってた)、前半と後半の雰囲気が違う。それでふと思い出したが、ずいぶん昔にストラヴィンスキーの「夜鳴きうぐいす」というオペラを聴きに行ったときも同様な事情があり、もう前半と後半がまるで違う作曲家が作ったみたいになっててそれはもう凄い違和感だったのを覚えている。
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私の頭の中では、前半は昨年観たエドアルド・ムンク展の数々の絵画で、後半はこないだネットで観た映画「ティム・バートンのコープスブライド」のストップモーションアニメの白黒の世界が広がっていた。骸骨の家来とともに毎晩荒々しい狩りを続ける王様、怯えて大声を上げる農夫たち、わけのわからない歌詞の滑稽な歌を歌う道化師(中学生のころから「パレ・グローブとエーリク・パーって誰だろう。今は子供だからわかんないけど、大人になったらわかるんだろう」と思って人生を送ってきたけどいまだにわからん)、そして最後はシェーンベルクお得意のシュプレッヒシュティンメの感動的な語り・・・ああ、なんという素敵な世界。シェーンベルクは絵がヘタクソだったから奴に映像化はムリだけど、ティム・バートンに映像化して欲しいな。
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さすがに最後の合唱は新国立だけあって素晴らしかったが、もうちょっと人がいても良かったかな感。フライング・ブラボーもなく、よいお客さんに恵まれた。TVカメラが入り録音もしてたのでもしかしてアッシジみたいにCD化されるのかな。されたら欲しいな、レイチェルさんの歌をまた聴きたい。もうすぐ読響を離れるカンブルランへの感謝の拍手はなかなか終わらず、私も合唱団がはける最後まで拍手をした。まあ、曲に慣れているせいか初アッシジの時みたいな衝撃はなかったけれど、素晴らしい音楽を体いっぱいに浴びてとてもいい気分だった。
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読響シンフォニックライブで放送されるらしい。
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