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2010年9月 2日 (木曜日)

アルミンク&新日本フィル/抒情交響曲

ブルックナー作曲:4つの管弦楽小品
望月 京作曲:ニグレド *世界初演
ツェムリンスキー作曲:抒情交響曲 op.18


ソプラノ:カリーネ・ババジャニアン
バリトン:トーマス・モール
指揮:クリスティアン・アルミンク/新日本フィルハーモニー交響楽団
(サントリーホール)
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会社をサボって参戦。いや、別に会社に行ってからでも全然間に合うんだけど、この暑さ続きでどうしても会社に行ってからサントリーに向かう元気がなかった。どっちかっつーと本拠地のすみとりに近い会社だからさ。

で。

券取ったのがつい2週間前くらいだったもんで、安い席は売り切れてた。そしてそこそこ(B席)の席を買ったわけだが、オケを真横から見下ろす席。いつもなら大好きな席で喜ばしいことだが、今日は違う。抒情だもんで独唱者がつく。あんまり芳しくない・・・芳しくないことを承知でゲット。

P1110466 で、結果的には斜め30度から指揮者のアルミンクのふつくしさを心ゆくまで鑑賞するという結果に。(別にファンでもないが)

(←家に帰ってからチラシの裏にブリブリ書いてみたもの。あたしの席からはこんなふうに見えた)

ふつくしい。なんとふつくしい指揮者なのだろう。たまに髪の毛をかきあげるしぐさもまことにふつくしい。まあ、自分の美しさを意識はしているのであろうが。

(あたしにとっては指揮者はべつに美しくなくていい存在。幼少の頃からテレビで見てた指揮者はホルスト・シュタインとかサヴァリッシュとか美しさとは無縁の指揮者だったもんで。)

とはいえ、今日は結構期待してた。アルミンクという指揮者は常々「もうちょっと燃えてほしい」とか「情熱的にやって欲しい」とかちょっとあたし的には不満が残ることが多かった。まあ、そういう行き方もあるのかとは思うが、音楽の内面の美しさにこだわるあまり、少し「うーん」と思うことがあった。ワーグナーとか、こないだのフランツ・シュミットとか。

でも。ツェムリンスキーはこの指揮者の資質にとっても合ってるって気がしてた。繊細で、内面の美しさに深く切り込んでいく感じはこの抒情って曲にぴったりである。

というわけだが、まず前半のプログラムについて。

まず、打楽器の数が凄い(望月女史の曲で使う)。R・シュトラウスやマーラーが軽くヒクほど。これだけでもこの席取ってよかったと思えた。よく見えるぜ。

まずブルックナー。初期の作品だという(初期って言っても38歳)。なんだろう、やっぱりブルックナーっぽい感じはしたな。

そして望月さんって女性の新作。私は、美術をやってた頃は日本の現代アートに慣れ親しんでいたもので、なんだかこういう曲を聴くととっても懐かしい。絵画(というかアート)の世界と現代音楽の世界は実はボーダーレスな感じがする。アートと称して音を発する作品が多くみられるのは言うまでもない。今日聴いた曲もまるで映像が頭の中で浮かんでくるよう。メロディーというものはほとんどないのだが、さまざまな楽器の音が色々な想像を掻き立てる。

また、見たこともないような楽器がたくさんあり(あたしが知らないだけか?)、傘の骨だけみたいな楽器をヴァイオリンの弓で弾くやつがあってなんだろうと思ったけど、ウォーター・フォンっていうんだって。面白いね。

しかし。やっぱり現代音楽は気持ちが持たないっていうか。私の周りの人は結構半分退屈そうだった。かくいうあたしも曲の後半は全然違うこと考えたり(AKBの腰痛と喘息で脱退した子はなんであんなことになっちゃったの?腰痛余計悪くならない?とか)してしまってた。

で。

後半。メインの抒情である。独唱者の女性のばばじゃにあん?とかいう人はなんだか(インド人が詩を書いた)この曲にぴったりなエキゾティックな容姿(アルメニアンということで)。お胸の谷間を強調したベージュのドレスもなんだかこの曲にぴったりである(まあ、あんまり見えない席だったが)。バリトンの人は後ろのポニーテールが気になる。

歌唱は前半あんまり聴こえなかった、オケにかき消されて。でも第2楽章が終わった(というか楽章は繋がってるんだが)あたりから結構耳も慣れてきて違和感はなくなった。というかオケがこの曲になじんできたという感じもした。後半は本当に美しい音楽を聴かせてくれた。この指揮者のいいところが発揮され、この曲の内面から出てくるような、絹のような美しさが感じられた。

なんと美しい、そして切ない曲なのだろう。官能的、と一言では片付けられない、何か人間の哀しい性(さが)というか。人間の孤独みたいな何か。愛し合ってもそもそも人間は独りぼっちみたいな。この曲は何かとてもいとおしい。そして深い・・・聴くたびに難しいと思う曲である。

曲が終わり、しばしの沈黙。こんな瞬間が好きであたしはコンサート会場に通ってるんだな。「まだ・・・まだまだこの美しい瞬間を・・・拍手はまだ待って」と、皆が思ってる。いいお客さんであった。

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コメント

こんばんは。
えーー?知らなかった、ツェムリンスキーやったんですか?
全然、ノーマークでした。

しかし、アルミンク君は、こうしたナイスなプログラムをどしどし組んでくれますねぇ。
そして、ナイスなアルミンク絵でございますこと。

ババジャニアンは、新国で蝶々さん観ましたが、日本的な所作が自然な美しい方でございました。
ソロCDも即買っちましましたよ。
その彼女のツェムリンスキーとは、まったくもう!

投稿: yokochan | 2010年9月 3日 (金曜日) 00時15分

わたしはRCだったんですが、歌手が二人いるときはやはりセンターブロックにせねば!と強く感じた次第です。歌声を横から聴くのはとっても残念。
とはいえよいコンサートでした。ブルックナーの修業時代の曲は成長過程の第一歩を知ることができて貴重でしたし、望月さんの新作はイメージ豊かで、打楽器だけでなく弦や管も使い方が実にユニーク。ちょっとホラー映画に使えそうな感じもありましたが。
そしてツェムリンスキー。なかなか実演に接する機会の少ない作品をこれだけ高いクオリティで演奏してもらえると、本当に「プログラムに組んでくれてありがとう」という気持ちになりますね。最後のあの30秒近い沈黙。まさかツェムリンスキーであんな時間が経験できるとは思ってもいませんでした。

投稿: 白夜 | 2010年9月 3日 (金曜日) 02時59分

>>yokochanさん
え。当然このコンサートはご存じで、てっきり会場にいらっしゃったものと思ってましたのに。ツェムリンスキー好きには残念です・・・・・・・(ううううう)。
ばばじゃにあん女史は名前は聞いたことあったので新国の何かに出てた気がしたのですが、蝶々さんだったのですね。もうちょっと声が聴こえたらよかったんですが席が席で。でも良かったと思います(多分)。
行かれなかったのは、いやホントに残念。我が事のように残念です。
アルミンク絵は写真とか見ないで印象を思い出して書いたので細かいところは多少違ってるかもです。とてもカッコ良かったです。

投稿: naoping | 2010年9月 3日 (金曜日) 20時57分

>>白夜さん
もちろん!いらっしゃっていると思いました。
席はRCならまだよいかと。私はRAでしたからね。一階席を見ると結構ちょろちょろ空席があったので移動しても良かったのかも・・・とかあとで後悔しました。
望月さんの曲はなるほどホラー映画。私は心霊写真特集のBGMに使えそうだなと思いました(すいません望月さん)。
それにしても・・・本当にいい抒情でした。私はこの曲をナマで聴くの(たったの)2度目なんですが、次は日本でいつあるか。演奏は全体的に素晴らしかったのですが、とくに最後のバリトンが歌い終わったあとのオケだけの部分が本当に心切なくて、今日仕事をしながら思いだしてうるうるしてしまうほどでした。大人の音楽だなあと。終わったあとの長い沈黙も素晴らしかったでした。

投稿: naoping | 2010年9月 3日 (金曜日) 21時10分

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