アルミンク/七つの封印の書
フランツ・シュミット:オラトリオ「七つの封印の書」(七つの封印を有する書)
ヘルベルト・リッペルト(テノール・ヨハネ)、増田のり子(ソプラノ)、加納悦子(アルト)、吉田浩之(テノール)、クルト・リドル(バス)、室住素子(オルガン)、
クリスティアン・アルミンク指揮/新日本フィルハーモニ交響楽団、栗友会合唱団
(すみだトリフォニーホール)
過去記事:ちょっと昔のレビュー(4)*1996年・若杉弘・七つの封印の書*
昨日と今日の二回公演。二回目を取ったのは、あんまりやらない演目なので、一回目よりこなれているのではと思ったんで。プログラムを見たら、「CD発行予定」とのこと。何、この演奏会って収録するんかい(←えー)。じゃあ奇声を発したりしたらダメだな。
演奏の前に、マエストロ・アルミンクによる曲目解説。たま~にわかるドイツ語が出てくると嬉しい(「神秘的な雰囲気」とか)。
この曲を生で聴くのは二度目になるわけなんだが、なんせ前に聴いたのは13年も前の話なので聴き比べってわけにもいかない。でも、前の演奏会の感想には「ものすごく感動した」ってあるし。今聴いたらどうなんだろうなって思ったけど。
まあ、この曲を聴く上で条件が違う。
★ 前のときはミトプー盤しか聴いたことないし、歌詞の内容まで把握してない
↓
★ 今回は前の演奏会のときの対訳を持っている。CDもメスト盤とシュタイン盤を保有。かなり曲も覚えている。
何事にも感動しやすかった昔より、何か色々凄いものを聴いてしまったあとの今とは聴き方も違うし。
しかも、指揮者(の傾向)が違う。日本人指揮者と、曲の本場の生まれの指揮者っていうのは・・・違い過ぎる。
ということでなんだけど、今日はそんなに(泣くほど)ものすごく感動したわけではない。それだけはまず言っておく。
この曲を聴きながら、色々考えた。キリスト教にあんまり馴染みのない日本人が聴くのと、現地の人が聴くのとは全然心構えが違うと思った。現地の人はこの楽曲自体の感動プラス「キリスト様ありがたい」の感動があるんじゃないかと。
で、若杉さんの指揮で聴いた時は、かすかな記憶をたどると、おそらくマーラーを振るような感じでやってたんじゃないかな。仏教徒?の日本人でもわかりやすく、感情移入できるような早めの激し目の指揮で。薄い記憶だが、地震の場面ではもうコンサート・ホールが揺れてるんじゃないかと思うほど迫力があった、と思う。
本日のアルミンクの指揮は、ウィーン・ジモティの指揮であった。宗教音楽ということで、「この曲自体が醸し出す何かすごく有難いもの」を素直に美しく表出したような指揮であったと思う。
まあ、アルミンクって普段からこんな感じの指揮者だとは思っているんだけど。「ローエングリン」や「戦争レクイエム」を聴いた限り、聴く人の心に深く食い込む激しい指揮というよりは、曲そのものの美しさに深く入り込んでいくような指揮をする人じゃないかと思う。
で、この曲のことだが。
聴き方ガイドっていうのが新日本フィルのHPであるので、曲の内容についてはそこを読んでいただくとして。実は若杉さんのコンサートのときに貰ったプログラム冊子が素晴らしく、これを読んでおけばまあ大体のことはわかったのさ。
私の1996年のときの感想で「阪神大震災とオウムとサリンとチェルノブイリとボスニア・ヘルツェゴビナが一緒になっちゃったような」曲とある。1996年の周辺は本当に歴史的に色んな事件があったんだよね。この曲は戦争ありいの、大地震ありいの、それに付随する飢饉、ニガヨモギありいの。
ニガヨモギ?
私が思うに、この曲のポイントの一つは歌詞に出てくる「ニガヨモギ」って植物だね。
聞け、第3の災いを!
炎に包まれた大きな星が、天から堕ちてきた。
その名を「ニガヨモギ」という。
その星は、泉と川の上に堕ちて、全ての水はニガヨモギの様に苦くなった。
その水を飲む者は、ニガヨモギの毒にあたって、皆死んでいった。
・・・という歌詞だが。みんなウィキペディアを調べればわかるぜ。あの1986年に原発事故のあった「チェルノブイリ」ってウクライナ語で(やや正確にではないにせよ)「ニガヨモギ」のことなんだって。これって凄くないですか? 原発事故で沢山の住民が毒に当たって亡くなったでしょう。この曲(つか、黙示録)は戦争や地震だけでなく原発事故までも表してたってわけ?
・・・
で。本日の出演者(歌手)について。
主役のヨハネを歌うヘルベルト・リッペルトは、遠い昔にサヴァリッシュに連れてこられて「魔笛」のタミーノを歌ったのを見聴きした。その時は本当にまだ「若手」だったんだけどもうすっかりベテランになってて驚いた。しかし、プログラム冊子によると、この人 シュトルツィングやらローエングリンやらヘルデンな役も歌うらしい。ホント、ヨーロッパでもヘルデンテナーは不足してんだな。しかしそれって私の中では(例えば)ヴンダーリッヒがジークフリートとか歌うくらい違和感を感じる。そのくらい・・・純粋でリリックな美しい歌声を堪能させて頂きました。
ベテランのクルト・リドルはもうナマで聴くのもう何回目なんだろう。さすがの貫禄である。しかし年齢とともにヴィブラートが激しくなってきたような。ヨーロッパで昔聴いた頃はこんなじゃなかったぜえええ。
期待していた増田のり子さんと吉田浩之さんも美声を聴かせていた。初めて聴く?加納さんてアルトの方のお声も良かった。まあ・・・オペラの舞台じゃないからそんなにすごく目立つものでもないけれど。
合唱団の方もいつもながら大変素晴らしかったでした。
で。
曲が終わってから暫く沈黙があり(ちょっと黙祷っぽい?)、指揮者が手を下してから拍手。宗教曲だから、すぐに拍手しちゃダメな感じがしてそうしたんだろうけど・・・実際は曲の終わりがわかんない人が多かったんかもなあと思いました。拍手は盛大でした。
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コメント
クルト・リドルの赤縁眼鏡が気になって仕方なかった白夜です。
字幕が現代語訳でわかりやすくてよかったです。「昔いまし、今いまし・・・」なんてはじまると、おっかけるのに頭の中で余分な時間食いますから。(手持ちのアルノンクール盤の対訳がこの手のやつです)今でもよくわからないのは、イエス・キリスト(子羊)が第7の封印を解くとそこにイエス・キリストを孕んだマリアが登場するくだりです。「昔いまし、今いまし、やがて来るべき御方」だからそれでいいのでしょうか。
あと、こんなマイナーな大曲を二日間もやって、あれだけ客席が埋まっていたことにはちょっと驚きました。2月にはブリュッヘンの指揮でハイドンの「天地創造」も二回やってるわけで、このあたりの年間プログラミングの妙は流石アルミンク凝ってますね。オケも客もアルミンクに教育されてきていると言えるかもしれません。
投稿: 白夜 | 2009年7月12日 (日曜日) 00時28分
naopingさんはじめまして。
これまでずっと楽しく拝見させていただいていました。コメントのタイミングを逃してしまい、今日までROM専で参りましたが、シュミットの公演に行かれたこの機会に、初めてコメントさせていただきます(拙ブログから無断でリンクまで張らせていただいていました。スミマセン)。
私はこの大曲の初ライヴ体験でしたが、naopingさんと同じように、物凄く感動した、という印象ではありませんでした。テキストの内容が逐一(非常に優秀な)字幕で追えたからなのかなとも思っていましたが、確かにアルミンクの音楽の持っていき方からして、まさに「ウィーンジモティ」で。なるほどぴったりの表現ですね(笑)
ニガヨモギのエピソードは初耳です。こういう一致はなかなか恐ろしいですね。私は飢餓だけはカンベンです。。
感想文からTBさせていただきました!
投稿: Sonnenfleck | 2009年7月12日 (日曜日) 10時53分
>>白夜さん
そうそう、赤メガネは気になりましたね。リドルってお茶目な人なのかも。
まあ、正直なところ現代語訳でも曲の本当の意味は私には理解しかねるというところなんですが。ちなみに私の持ってる対訳は完全に現代語訳です。やっぱりキリスト教ものは生活の違う日本人には解釈が難しいですね。
あんなマイナーな曲のわりには(そうそう都心でもないのに)結構人が入ってましたね。ちょっとアルミンク教みたいな感じもします。この曲初めて聴いた人も多数いたはずなんですが、そういう人がどんな感想をもったのかが知りたいです。『ぜんぜんわかんねえ』って感じ・・・と予想。
>>Sonnenfleckさん
はじめまして!(・・・という気がしません。こちらも読ませて頂いてます。)
なかなか鋭い感想を読ませて頂きました。そうそう、確かに凄い感動をもって聴いたわけではありませんね。逆にこの陣容でウィーンで演奏したらウィーンの人たちは感動したかなあとか思いました(おお、東洋人がこんな演奏を!とか?)。それにしても前はなんであんなに感動したんだか13年前の自分に聞いてみたいところです。
ニガヨモギの話は若杉さんのときの解説書にあり、翻訳した三枝成彰さんが書いておられました。wikipediaには「チェルノブイリ原子力発電所事故」の項の下のほう「チェルノブイリと聖書」に載っています。俗に言う「都市伝説」みたいですが・・・本当に恐ろしい話ですね。
投稿: naoping | 2009年7月12日 (日曜日) 11時22分
再び失礼します。
実はアルミンクがプレトークの最後に引いた「我々の内なる悪、我々を取り巻く悪に勝つ力をこの作品から得て欲しいという願いを込めてこの作品を書いた」というフランツ・シュミットの言葉について、ずっと考えていました。それからnaopingさんの「阪神大震災とオウムとサリンとチェルノブイリとボスニア・ヘルツェゴビナが一緒になっちゃったような」曲という言葉も。
イエス・キリストの死後100年が過ぎようとしているのに、一向に神の国は訪れずローマ帝国の迫害は苛烈さを増すばかり。苦難に耐え邪悪と恐怖が支配する世界の危機を乗り越えて、前途に待ち受ける永遠の勝利を信じようと信者たちを励ます意図のもとに書かれたのがヨハネ黙示録だといいます。(あの復讐心の苛烈さには正直辟易する部分もあります)
いっぽうシュミットが「七つの封印の書」を書いたのは1935~37年で初演が38年、まさにナチスの嵐が吹き荒れようとしていた暗黒の時代です。
アルミンクが引いたシュミットの言葉の奥には、この作品がヨハネ黙示録を通じてその先に、暗黒の時代に苦しむ同朋へ向けての、屈することなく未来を信じて生き抜こうと語りかける励ましの言葉と二重写しの意味があったように思えてなりません。テキストにあえてルターのドイツ語訳を用いたのも、メッセージをストレートに伝えたかったからだろうと思います。そう考えると、この作品が戦後もウィーン周辺の人々にだけ、変わらず愛され続けてきたわけがわかるような気がします。
今もわたしたちの生活は常に邪悪や恐怖や不正義に囲まれていますが、初期キリスト教徒やナチス政権下の民衆ほど切実にそれを感じることはまずありません。naopingさんが前回この曲を聴かれた1996年は、まさにそれが地表を突き破ったマグマのように激しく噴出した時期であり、それゆえに激しくnaopingさんの心を揺さぶったということであろうかと思います。
翻って今現在も世界的に見てその状況はまったく変わらないばかりか潜在的な危機はより深刻化しているにも関わらず、それに対してわたしたちがどんどん鈍くなっているとしたらそれはそれで恐ろしいことなのかもしれません。
投稿: 白夜 | 2009年7月12日 (日曜日) 16時17分
>>白夜さん
ふたたびどうもです。
>naopingさんが前回この曲を聴かれた1996年は、まさにそれが地表を突き破ったマグマのように激しく噴出した時期であり、それゆえに激しくnaopingさんの心を揺さぶったということであろうかと思います。
うーん、実はそういうことに気がついたのって演奏会終わってしみじみ解説を読んでからだったんですね。私ってあんまり頭よくないので(笑)・・・そこまでは考えませんでしたゎ。演奏会中で感動したのは・・・たぶん若杉氏の指揮と合唱団のずば抜けたうまさだったのではないかと思います。
投稿: naoping | 2009年7月14日 (火曜日) 18時12分
こんにちは。
ちょっと調べ物をしていてこちらのページにたどり着きました。2009年は『七つの封印を有する書』当たり年だったようで、音楽も含めて予備知識なしに、オットーボイレンのバジリカで行われた演奏会を、旅行のスケジュールの中に組み入れてしまいました。
コンサートホールだったらまた違った感想を抱いたかもしれませんが、教会空間のアコースティックは聴いた席の位置もあるのでしょうが、ちょっと残念なものでした。ブログに書いたとおりで、オルガンの響きには感銘を受けましたが。
ちなみに演奏前後に拍手はありませんでした。
というわけで、もう11年も経ってしまったのですね。
投稿: HIDAMARI | 2020年6月10日 (水曜日) 08時25分
>>HIDAMARIさん
11年も前の記事にコメントありがとうございます。この曲を本場ヨーロッパの教会で聴かれたのですね。この曲の普段のあるべき姿、羨ましいです 。私も機会があったら(当分なさそうですが)教会でこの曲を聴いてみたいです。まあ、教会も色々ですので音響があまりよくないところだったら残念ですが。
今、世の中がこんななので、ちょっと前に思い出してYouTubeで(バッハの受難曲とともに)この曲を聴いたりしていました。大震災の時もそうでしたが、この世の災害とか疫病などを描いている作品だからかなあと。
投稿: naoping | 2020年6月13日 (土曜日) 11時05分