ブゾーニ/悲しき子守唄
マーラー:歌曲集「さすらう若者の歌」(シェーンベルクよる室内オーケストラ版)
シェーンベルク:クリスマス
シュレーカー:低声のための歌曲集(Goesta Neuwirthによる室内オーケストラ版)
ブゾーニ:悲しき子守唄 "Berceuse Elegiaque"(シェーンベルクによる室内オーケストラ版)
アンナ・ホルロイド(メゾ・ソプラノ)カメラータ・ド・ヴェルサイユ
(AUVIDIS VALOIS)
一時期、シェーンベルク(その他それっぽい編曲)の室内オケ版編曲に狂ってた時期があって、何枚かCDを持っている。
過去記事:ウィーンの思い出<J・シュトラウス編>
大好きな世紀末ウィーンの香りたっぷりなのと、何故かいつも使われているハルモニウムってオルガン楽器のチープな音質がたまらなく好きであった。
そんな編曲の中で、本日のCDの収録曲中では有名どころの「さすらう若者の歌」ってのがある。これはダイナミックなオーケストラ版や、シューベルトやシューマンなどのドイツ歌曲の趣のピアノ伴奏版と比べ、時々響くハルモニウムの音がなんだか場末の酒場でクダ巻いてる若者みたいな感じを漂わせてオカシイ。こんなに変ってしまうもんか。
シュレーカーの歌曲集は、シェーンベルク編曲ではないのだけれど、それ風に作っているようである。これがまたウィーン世紀末の重く甘い雰囲気を漂わせていてなかなかヨイ。アルマ・マーラーの歌曲に近いかも。
しかし、このCDで最も気になる曲は、最後のフェルッチョ・ダンテ・ミケランジェロ・ベンヴェヌート・ブゾーニ(ミドルネームが画家みたいね)の「悲しき子守唄」(悲劇的子守唄)という曲である。10分くらいの曲。これはどんな意義のある曲なのか、ネットで調べても調べてもナゾがナゾを呼ぶ。録音はまーまーあるみたいだけどね。
CDケースのウラ面によると Cradie-song of the man at the coffin of mother という標題がこの曲にはあるようだ。
もー、ここで訳したくないくらい不吉である。縁起でもない。やだやだ~。標題通り静謐で、沈み込んでしまうような曲である。あんまり聴きたくない感じ・・・なのに昨日から何回も聴いてしまっている。ついつい気になるぞ。
こーゆーのが好きな読者さんはたぶん沢山いらっしゃることだと思うので、解説してくれちゃったりすると大変助かります。
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そーいえば、今日は白い日じゃないか。
写真は、会社でもらったクッキーとチョコとグラスのセット。
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コメント
>そんな編曲の中で、本日のCDの収録曲中では有名どころの「さすらう若者の歌」ってのがある。
目下売り出し中のクリスティアン・ゲルハーヘルが歌っているCDを持っているけど、確かにこんなに雰囲気が変わるものかと感じました(まあオケ版で聴き慣れていたのがトーマス・ハンプソン&バーンスタインだからだったかも知れないけど・・・これはまさにドラマですし^^;)。
投稿: Shamshyraq | 2008年3月14日 (金曜日) 23時08分
「悲歌風の子守歌」は不思議な味わいがあって好きな曲です。ギーレンやヤルヴィのCDで聴いています。ただ聴くだけで解説できるほどには知らないのですが・・・
8曲からなるピアノ曲集「悲歌集」の7曲目「子守歌」を自ら管弦楽化したもので、それをシェーンベルクが室内編成にアレンジしました。(エルヴィン・シュタイン編としているCDもあるようです?)副題通り亡くなった母親を悼んで書いたもののようです。
ブゾーニの管弦楽曲としては当時からもっとも名高いもので、マーラーが死の直前に最後に指揮をしたニューヨーク・フィルとのコンサートでも取り上げられています。
実は原曲のピアノ曲は6月に高橋悠治が弾くことになっているので、行こうかどうしようか迷っているところです。
投稿: 白夜 | 2008年3月15日 (土曜日) 00時12分
>>Shamshyraqさん
まあ・・・色々と解釈はありますから、この曲は男声と女声の違いでも相当雰囲気変わりますね。フルトヴェングラー&F=Dとかになるとホントに劇的です。
>>白夜さん
さすが白夜さん、明快なご回答ありがとうございます。原曲はピアノ曲だったのですね。マーラーもコンサートで指揮したのですか・・・。色々といわくありげな曲なのですね。
雰囲気としては、メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」の第3楽章に少し似てるかなと。このCDの編成のせいもあるかもしれませんがね。
投稿: naoping | 2008年3月15日 (土曜日) 14時22分