コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲とアルマ
エーリッヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲
ギル・シャハム(ヴァイオリン)アンドレ・プレヴィン指揮/ロンドン交響楽団
今日はコルンゴルトの最高傑作との呼び名も高い(私は彼の最高傑作は「死の都」だと思っているが)、ヴァイオリン協奏曲を。コルンゴルトの映画音楽を得意としているアンドレ・プレヴィンのサポートで。
コルンゴルトのこの曲は、彼の映画音楽に精通している方ならば、聴いていて楽しくてしょうがないと思う。色々な彼の作曲した映画音楽がちりばめられている。最初に「砂漠の朝」(Another down)、次に「革命児ファレス」、「風雲児アドヴァース」、「放浪の王子」って映画の音楽がひょっこりと顔を出す。耳慣れたメロディーが聞き取れるのでなんだか安心感がある。
このヴァイオリン協奏曲、数あるヴァイオリン協奏曲の中で、私の一番好きなアルバン・ベルクのそれと共通していることがある。それはアルマ・マーラー=ウェルフェルと大変関係が深いということである。
過去記事「ウェーベルン指揮のベルク・ヴァイオリン協奏曲」
ベルクのヴァイオリン協奏曲の依頼者はヴァイオリニストのルイス・クラスナーである。しかし、その一方で作曲途中で18歳という若さで死んだアルマ・マーラー=ウェルフェルの娘のマノン(二番目の夫の有名なバウハウスの建築家ワルター・グロビウスとの子)のレクイエムということにもなっている。
ベルク夫妻はアルマとはもちろん、アルマの三番目の夫の詩人フランツ・ウェルフェルとも親しかった。そしてマノンをも特別に可愛がっていたらしい。
ベルクの伝記より(フォルカー・シェルリース著)
「マノンの死はベルクにきわめて深い衝撃を与え、この美しい少女のために一つの記念碑を作り上げようという願いを抱かせることになった。「ヴァイオリン協奏曲」はこうした思いにインスピレーションを刺激され、非常な速度で作曲が進行し始めた。そしてこの作品は<ある天使の思い出に>捧げられた。」
さて、本題のコルンゴルト。コルンゴルトは子供の時から天才少年の呼び声高く、グスタフ・マーラーも(この子は天才だ!と叫んでしまうほど)一目置いていた。で、マーラーの別荘にもよくお呼ばれしていたらしい。コルンゴルトが「お菓子を上手に食べられない」ほど幼い頃の話。
時は流れ。
アルマはフランツ・ウェルフェルと結婚したが、彼がユダヤ人だったためにナチスから逃れるためはじめフランスに渡り、その後1940年に苦難の末ニューヨークにたどり着く。
その5年後に、フランツ・ウェルフェルは持病が悪化し(そもそも心臓が悪かったみたい)、お亡くなりになった。
(10歳くらいアルマより年下だったはずなのに先に逝ってしまうなんて、ウェルフェルったらサギである。アルマはマーラーも含めてよく身内に死なれる人だなあと思う。なのにアルマ自身は85歳まで生きた。)
コルンゴルトがこのヴァイオリン協奏曲を完成する直前、フランツ・ウェルフェルは亡くなった。フランツ・ウェルフェルとも関係の深かったコルンゴルト。狂乱状態に陥ったアルマにコルンゴルトはこの曲を捧げたのである。
とくに曲の内容はアルマとの関係はないみたいだが、このへんの人間関係の繋がりを調べていくと色々興味深いものがある。
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今日はマジメな感じでいってみました。
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コメント
こんばんは。私もムチャクチャ好きですよ、この曲。そしてベルクも。シャハムのCDは、B面(?)バーバーの協奏曲も大好きだし、いい演奏であります。ヴァイオリンの出だしからもう泣けちゃいます。でも彼の映画音楽のフレーズが散りばめられているとは、知りませなんだ。いつ見ても、アルマはん、美人でんな。そして結婚した旦那は皆不幸を背負ってあるいたような人ばかり・・・。
離婚前のプレヴィン夫妻の記事をTBさせていただきました。
投稿: yokochan | 2006年12月12日 (火曜日) 23時51分
>>yokochanさん
こんばんは。TBありがとうございます。映画音楽のフレーズは「あ、これこれ映画の曲だ!」みたいなのはわかりますが、実際映画を見たわけではないので映画の題名までは出てこない。例によって早崎隆志さんのご本を参考にさせていただきました。(すいません)
アルマは女性の私から見ても幼い頃から憧れでした。ま、こんな映画みたいに波乱万丈な人生はご免ですがね。
投稿: naoping | 2006年12月13日 (水曜日) 19時18分